おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

こころの旅の質を変えるもの  (第1325回)

前回の続きで神谷美恵子「こころの旅」の第九章「病について」です。年をよると「病」と「老」は不可分のものとなりますが、それでも違いを挙げると、加齢による自然現象は個人差があるとはいえ共通点があります。老化の速度や程度は人それぞれですが、衰える部位や機能は似たりよったりです。老眼、難聴、疲労、神経痛などなど。病はそれと比べて多種多様です。若い人もなります。

著者は精神科医ですから、病を話題にするにあたり、この多種多様な病気を網羅するのは避け、主題に沿って「生涯にわたってこころの旅の質を変えてしまう」もの、すなわち「はっきりした意識で自分の病を自覚できる場合、そしてどちらかというと慢性、または致命的な病に限りたい」と限定しています。自覚症状がないときや、すぐ治る私の鼻風邪などは、こころの旅を変質させません。


著者はこの章において、明確な定義をしていませんが私の解釈によれば、「苦痛」という言葉を身体の痛みとして、また、「苦悩」という言葉を心の苦しみとして用いているようです。苦痛がないとき、私たちは元気です。体調不良による葛藤、緊張、疑念、抵抗といったものと無縁です。著者はドイツの心理学者のポイテンディックの言葉を借りて、「形而上学的軽薄さ」と表現しています。悩まずに済んでいる。

しかしひとたび、慢性的・致命的な病気の苦痛にさらされたとき、我を忘れて人生を謳歌していたわたしたちは、「我のもとに引き戻され」てしまいます。内臓などが「今までのような具合には自分に仕えてくれなくなり、自分に反抗し、その結果、自分は自分を支配することができなくなってしまった」という事態になります。著者は苦痛を「死の存在の影」、「死の予告」でもあると述べます。


一方で、死は一回限りですし、霊魂や天国の存在を信じていない私のような無宗教の者としては、死んだという自覚をする機会もありません。しかし病は長く続いたり、繰り返したりすることがあり、そのような場合、「ひとたび激しい苦痛を経験した人は、以後、すっかり変わってしまうことが多い」。これは人それぞれ、身に覚えがある経験ではないかと思います。

これは「軽薄さ」から引き戻されるわけですから、決して悪いことばかりではなさそうです。心身を引き裂かれた状態のなかで、ひとは病前とは違う判断のしかたや考えかたをするようになり、ときには「高い精神性へとはばたいてゆく」。うちの近所に住んでいた正岡子規や樋口一葉は結核でした。夏目漱石や芥川龍之介は胃弱で苦しんでいます。彼らの作品と無縁であろうはずがないと思います。


他方、やはり痛いものは痛い。著者はこう断言しています。「苦痛があるときには必ずこころに苦悩が起きる」。著者はふたたびポイテンディックの著作「苦痛について」から引用しています。個人的には、この「苦痛」は「老い」に置き換えて読むこともできないかと思います。そうしたいものだと思ってます。

生命の河の岸にたたずんで、じっと耳を澄ませている者は、ある嵐の日に、肉体的苦痛の重い荷を負いなさいと叫ぶ声をきくことがあるだろう。その荷を勇気と忍耐をもって負うだけでなく、その中で万人との連隊を発見し、人生全体のこの限界の彼方に、新しい世界を発見することもあるだろう。


(つづく)


ビョウヤナギ  (2026年5月24日撮影)
























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