おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

関口先生さようなら   (20世紀少年 第310回)

 カンナの戦闘能力は高い。路上で包囲陣を敷くドリーム・ナビゲーターたちに車を突っ込ませた。下車しながら不良少年たちに作戦指示を三つ。捕虜の救出、カーステレオとクラクションを鳴らして周辺住民を叩き起こして相手の動きを止め、そして脱出。

 少年たちは、そのとおり実行した。ツトムを救いだし、町中たたき起こしながら、また迎えに来っからな、遠藤カンナと叫んでいる。根は良い人たちなのだ。必ずや違法ドラッグなど卒業して更生するであろう。ただし、おかげでカンナが来たことを高須に知られてしまった。

 
 カンナはコイズミとサダキヨを探し求めて、単身、老人ホームに乗り込むのだが、最初に出会ったのは施設の老人たちと、一体何の騒ぎだとプンプン怒っている施設の担当者さんであった。カンナはその血相のみで担当者を説得し、避難させている。ところで、ここは爺ちゃんばかりで婆ちゃんがいない。まあ、それはそれで桃源郷か...。

 戦争でもおっぱじまったかと、うろたえるお年寄りに言い放つカンナの叱責が切れ味鋭くて良いな。「命を大切にして。ここまで生きたんだから、嫌われるくらい長生きしてよ!」。続いて、カンナは施設の人から、サダキヨとコイズミが屋上にいることを聞き出して、そちらに向かおうとした途端に、「遠藤キリコさん?」と声を掛けられた。


 関口先生はカンナの背後から声を掛けている。それに、カンナとキリコの顔は、それほど似ているとは思えないのだが、関口先生によれば、二人は立居振舞とか声がそっくりなんだそうだ。

 先生はキリコが6年生の時の担任だった。キリコは「子供の科学センター」のとの奨励賞をもらったそうだ。受賞したのは、やっぱりウニョウニョ可愛い「ボウフラの研究」であった。

 
 ところで、現在のキリコがこんなに若くて制服姿なわけがないのだが、関口先生の認知能力も若干の衰えを見せ始めていたか。もう20年ぐらい前だが、ある介護施設の責任者が、雑誌か新聞の取材に応えて、なかなか面白いことを言っておられた。幸せな人生を送ってきたご老人は、痴呆が進むと、その人格が一番幸せだったころに戻るのだという。

 例えば社長さんだった人は社長さんに戻ってしまい、プロのスポーツ選手だった人は現役時代に戻ってしまう。そして、女性はほとんどすべてが若い娘に戻るのそうだ。もっとも、20年かそれ以上も前の話だから、今は社長さんも大変な時代だし、女性も娘時代以上に幸せな人も多かろう。


 関口先生も幸せな人生を送ってきた人であり、一番幸せだったのは教壇に立っていた時期だったのかもしれない。ともあれ、先生はいかにも先生らしくカンナに接している。キリコの「尊敬する人は野口英世、夢は細菌学者になること」だったそうだ。細菌学者と聞いて、カンナの顔色が曇る。

 先ほど知ったばかりの父の正体を思い浮かべたのだろう。その男は細菌兵器で世界中の大勢の人を殺した。関口先生はカンナの様子が変わったのに気付いている。カンナに母の所在を尋ねるが、母には会ったことがない、亡くなってはいない、どこかに居る...という寂しい返事しか戻って来ない。これに対して関口先生は言った。キリコは正義感のある立派な子で、人生を踏み外すことのない子だと。


 ところで、野口英世といえば、私が幼いころの偉人伝では不可欠の人物だったのだが、今でもそうなのだろうか。出身は福島...。彼のうちは貧乏で、幼い頃に囲炉裏に転がり落ちて、片手を大やけどしたが、大変な努力をして立派な博士となり、アフリカで黄熱病の研究中に、黄熱病に罹って亡くなった。

 彼の業績のうち、少なからずのものは後世、否定されているという記事を何かで読んだ記憶がある。ただし、それは野口英世の頭や腕が悪かったからではなく、当時の実験装置のレベルの低さによるものだそうだ。彼の銅像は、我が家から歩いて行ける距離にある上野の科学博物館の前に堂々と立っている。

 ちなみに、この博物館には等身大のシロナガスクジラという、けったいなオブジェもあって、ものすごく目立つ。道を訊かれたときは、「ここを真っ直ぐ行くとクジラがいますので」などとご案内することにしている。なお、野口英世の顔をご存じない方、お忘れの方は、お手元の千円札をご覧いただきたい。天然パーマだろうか。


 関口先生は施設の人に早く来いと急かされて、「学校みたいに規則が厳しい」と苦笑いしているが、今は規則で逃げているのではないと思うぞ。ともあれ、立ち去りがてら、先生はカンナに「お母さんを信じなさい」と最後に言い残した。カンナは、間もなく信じられない真実を知ることになるのだが、ここでは穏やかに先生を見送っている。

 関口先生は、のちに第12巻でヨシツネからの電話の問い合わせに声だけの出演シーンがあるけれども、後半の回想シーンを除けば、その姿が出てくるのは、この第11巻の111ページ目が最後である。

 おそらく幸いなことに、彼は自分の教え子たちが地球を滅ぼす側と守る側に分かれて、戦い続けていることを知らないに違いない。たぶん彼の責任ではないので、それで良いだろう。関口先生、さようなら。


(この稿おわり)



日差しに背を向けて咲くクリスマス・ローズ(2012年3月27日撮影)



桜はなぜ、こんなところにも咲くのだろう(2012年4月6日撮影)