みんな張り切っているのにと言ってカンナ嬢は下を向く。上巻115頁、物言わぬサダキヨ相手に、景気よく話し続けてきたカンナも、ここにきて「あたしはどうすればいい?」と思案顔でうつむいている。ここでちょっと寄り道します。物言わぬ相手という話題で坂口安吾が雑文を書いている。
彼は例によって酒か薬で錯乱し、町中で大勢を相手に乱闘事件を起こした。孤軍奮闘むなしくボコボコにされて、翌日は顔中が腫れあがり話すことさえできなくなった。そこへ坂口家に遊びに来た中原中也が安吾の様子をみて手を打ち喜んで、黙ったまま座っている安吾の顔の壊れ具合をなどを2時間にわたり言葉を尽くして語り、飄然と帰っていった。物言わぬ相手に対し2時間も、一つの話題でしゃべり続けるとはさすが詩人であると安吾は書いている。
カンナの後悔は、自分のせいで大勢の人間が死ぬところだったというものだ。万博の会場にもし円盤が墜ちていたら、どんな大惨事になっていただろうかと過去に向けて想像力を働かせている。ほう。ヤン坊マー坊は万博会場に向かった円盤がウィルスをまき散らすのを恐れていたのだが(円盤はその練習をしていたのだから当然の推測である)、カンナは墜落したかもしれないと考えているのだ。根拠は?
円盤を撃ち落としたのは田村と落合のお二人だった。まさかオッチョともあろうお方が、万博会場の上空にある円盤を撃墜したりはするまい。マサオの場合は所構わずの自爆テロのようなものだったから可能性こそあるが...。それとも私と同様、落ちた円盤からウィルスが拡がったらどうするという心配だろうか。まあいいじゃないか、とカンナに言いたい。ちゃんとコンサートができたではないか。
とはいえ彼女の悔いは複雑なもので、実父の”ともだち”の考えることは分かっても、”ともだち”のコピーの考えることまで分からなかったというものだ。ここまでは当然といえば当然で、身内と余所者の間に違いがあって不思議ではない。彼女が反省しているのは「自分には特別な力があるって思い込んで」いたからだそうだ。
念のため、単なる思い込みではなく彼女には特別な力がある。スプーンを曲げたり、タマゴボーロの在りかを当てたり、校長の首を絞めたり、家財道具を宙に飛ばしたり、予知夢を観たりと多芸なエスパーである。自業自得の校長を除き、全般に人畜無害であった。
ところが肝心要の都民のみなさんの避難場所を選ぶに際して、彼女は”ともだち”に騙された。特別な力は働かず、コピー・ロボットの「うそばっかり」を見抜けなかったのだ。でも、これは単なる予測の間違いではないのか。あるいは仮に彼女でなくても、そう考えるのが自然ではないか。などと自責の念に沈んでいる人に向かって、能書きを垂れても意味はない。反省しない人は「想定外」と言って逃げる。
カンナは「まるで”ともだち”といっしょ」とまで自分を責めている。二代続いて、自分の死さえ予言できなかった”ともだち”であった。彼女は思い込みや自惚れを恥じているのだろうか。カンナは黙って横たわったままのサダキヨ先生に向かって、「ズルはだめだよね」と言った。
かつてケンヂ少年の背中に向かってサダキヨ少年が語った言葉を分かち合っている。あのときは超能力があるフリをしてはいけませんという趣旨であった。しかしカンナは何かズルをしたかなあ...。少し自己評価が厳しすぎるような気もする。ところで、自分のセリフを横取りされて目が覚めたのか、サダキヨが何やら小声で呟いているのにカンナは気が付いた。
「何?」とカンナ。意外にも「マンガ」とサダキヨ。「読んでみる?」と思わず進駐軍のおさがりのマンガ本を差し出すカンナであった。「M男 対 S男」のコミックだ。前回はスーパーマンを引き合いに出したが、子供のころスパイダーマンも有名であった。ケンヂの先輩スパイダーさんは達者だろうか。
しかし、サダキヨの意図はマンガの差し入れではなかった。「マンガが現実に」と彼は途切れ途切れの声で言う。先ほどはケンヂとオッチョが「空想が現実に」なるとこんなもんだと嘆いていたが、第二幕はマンガの出番らしい。「しかけた、あいつが、あそこに」とサダキヨは下手な自動翻訳ソフトのような感じで言葉を並べていく。ここまでカンナは不審げである。
されど最後にサダキヨはしっかりと口にした。「反陽子ばくだん」。カンナには心当たりがない様子である。まだケンヂから聞いていないのだろう。だが虫の息のサダキヨが、言わでもがなのことを話すはずもなかろう。サダキヨは先日、”ともだち”をリモコンごと押さえつけて、その暴走を止め、いい者であるとケンヂに認定された。
彼の聖戦はそこで終わったかに思えたが、「よげんの書」と同じく実は続きがあったのだ。サダキヨは朦朧とした意識の中で、最後の戦いに挑もうとしている。幸いケガ人の枕頭にはイタコにうってつけのカンナがいる。「あいつ」とは誰なのかカンナはまだ知らない。間もなく出てくるお面の二人、もう帰らないあの夏の日。
(この稿おわり)
我が家に同居中のスパイダーさん(2013年11月15日撮影)
絶えることなき夏の輝きを浴びながら
お前と俺がすごした日々も今は遠い
「アキレス最後の戦い」 レッド・ツェッペリン
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