おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アフリカの夢 (20世紀少年 第881回)

 下巻の174ページ目から175ページにかけて見開きの一コマがあり、砂煙を上げて四駆らしきヴァンが砂漠のような大地を疾走している。次のページに場所の名が出てくるが、ここはアフリカ大陸だ。

 左ハンドルを運転中の蝶野氏が、ここは昔、川だったようだと推測している。干上がって砂漠か土漠のようになってしまったのだろう。地元の人たちであろうか、車座になって幟を掲げて踊る二人を囲んでいる。雨乞いの儀式だろうかと蝶野氏は思う。


 蝶野氏と呼ばざるをえないのは、彼が刑事の身分のまま休暇で来ているのか、それとも退職したのか分からないからだ。少なくとも新・伝説の刑事にはなったと私は評価する。ともあれ今は他に大切な用事がある。

 ホントにこの先にいるかなとつぶやいてから、助手席のカンナに向かって君の超能力で何か分からないのかと尋ねている。このあたりにいるとの情報があったらしいのだが、お目当ての人がなかなか見つからないらしい。ガイドも付いていないところを見ると、その人は例えば赤十字の仕事などで来ているのではなくて単独行なのだろうか。


 カンナは退屈そうに、あんな変な力はもうなくなったのだと答えている。変かな。ずいぶん活躍したものだったが。蝶野氏は大まじめに、それもよし、個人的には無いほうはいいと思うと、変な力に散々振り回されてきただけに決然と語る。

 気味悪いから?とカンナに混ぜっ返されムキになって違うと否定しているところをみると、青年は遠藤家の内部事情なのに運転手を買って出ただけの心理的な背景をお持ちらしい。「あ」と顔を上げたカンナが「見えて来た」と叫んでいる。


 乾ききった土地に小さな町がある。民家は掘立ての柱に天幕という質素きわまるものだが、電線が通っているので近くに発電機はあるらしい。私がいたころのカンボジアの田舎は、電線がなくテレビ電波も届かず、車のバッテリーを使ってテレビとデッキを動かし、人々は主にプノンペンで報道されているテレビ番組を録画したビデオを観て暮らしていた。

 こういう砂漠の町はパキスタンに出張したときに立ち寄ったことがある。気温と同じ温度のホット・コカ・コーラを飲んだ。美味かった。用事がある場所に着いたものの、日中は出歩くと干上がって命が危ないから午後おそくまで視察は待てと言われて待機。日没少し前に現地の車を出したが、車の温度計は51度まで上がってから「E」の表示が点いたまま動かなくなった。


 道の真ん中で車を止めて、若い二人はそれぞれ反対側のドアを開けて、出た方向を眺めている。カンナはすぐさま相手が分かった。蝶野氏も「そっちは早く点滴を」という声や、子供たちを並ばせてという日本人の助手か誰かに指示する日本語を聞いて振り向いている。

 背中だけ見せている女医らしき人は、ワクチンは充分あるんだから順番を守ってとキリキリ働いている。その勢いに子供たちも顔をしかめているな。怒らすと怖いのだ、この人は。


 その背後に立ったカンナは「お母さん...」と声を掛けている。キリコは振り返って約二十年ぶりに元気すぎるという噂の娘の顔を見た。カンナは生まれたばかりの赤ん坊のときに別れているから初対面に等しい。

 もっとも母の顔と声は鳴浜町の古い録画で見聞きしている。ゴジラの一件では誤解も生じたが、オッチョが山根の話を伝えて解いている。そのときの言いつけを守り、一所懸命、幸せになろうと頑張って来たのだ。


 蝶野氏は車に戻り、「おばあちゃん、ホラ、見つかったよ、キリコさん」を声を掛けた。山形のおばあちゃんが「キリコ〜」と言いながら降りてくる。おばあちゃんを支える蝶野氏は満面の笑顔だ。

 キリコとケンヂは60歳前後だろうから母は八十代か、もしかすると九十を超えているかもしれない。その歳で地球の裏側まで来て灼熱のアフリカ大陸を走るとは尋常なお年寄りではない。さすが地球を救ったこの二人の母子とケンヂの三名を生み育てただけのことはある。


 この作品の登場人物たちは再会を果たして泣くことが多いが、白衣姿のキリコは穏やかな顔をしたままである。そして深くお辞儀をした。カンナには主に謝罪か。お母ちゃんには主に感謝か。第1集を見れば、当然の判断であるが、キリコは赤ん坊を母に預けている。

 まさか跳ねっかえりの弟ケンヂが、あそこまで熱心にカンナを育てるとは思いもしなかったであろう。おかげで、とんでもない趣味や主張を吹き込まれてしまい、学校や秘密基地の仲間にずいぶん手を焼かせることになる。


 ちなみに、キリコもカンナもひたすら遠藤姓を使い続けている。統計的には入籍すると父方の苗字になるほうがずっと多い日本だが、籍を入れていなかったか、服部姓を嫌ったか。

 かつて関口先生は遠藤カンナに対し、遠藤キリコの思い出を語っている。「夢は野口英世になること。細菌学者になること」。そして教え子はずいぶん遠回りをしたものの、先生の予言どおり自ら道を踏み外すことは無かった。いっとき、だまされたが。誰だって躓くことはある。ドクター・スタージェスを思い出す。
 
 
 キリコはアフリカ大陸に戻ったのだ。彼女は1994年6月にアフリカで学位を取っている。そのあと日本に戻り遠藤酒店で働いていたころ諸星さんを喪う。その心の隙を悪党共に付け入れられて、彼女の運命は暗転した。

 彼女が真相を知らぬまま鳴浜病院で働いていた1995年ごろ、中央アフリカで大流行して一躍有名になってしまったエボラ出血熱は、報道によると今年(2014年)も同地で多くの死者を出している。厳しい土地だ。


 ここでキリコが接種しているワクチンは、山根の発展型ウィルスに対抗すべく、彼女が再びアフリカに渡って開発した最終ワクチンではないかもしれない。あのとき彼女は試作品を守ってスイスから東村山まで放浪した。いま弟が目指す世界ツアーは、姉の活躍のはるか後塵を拝している。

 どんな病いが相手であろうと、キリコはおそらくアフリカの人たちに対する医療に生涯を捧げるような気がする。このあたりで勉強していたころの夢をかなえるために。”ともだち”の人体実験で亡くなったらしい犠牲者のお弔いと償いも兼ねて。おかげさまで人類は勝ったが、キリコの旅は終わっていない。




(この稿おわり)




(2005年12月、北アフリカ上空にて撮影)


 


 南回りの船でアフリカに行くのが夢さ 
 冬の長い町から来た奴の口癖
 しわくちゃな象の写真をいつもポケットに入れてた 
 酔うと誰にでも見せながら 俺と行こうとしつこく絡んだ

 そんなあいつの姿 煙のように消えてから
 へたくそな字の葉書 ある日俺に着いた
 拝啓 おいらはついにアフリカにたどり着いたと
 隣町から出された その手紙見て 俺は泣いたぜ

            「アフリカの夢」   柳ジョージとレイニーウッド








 I want to be where the sun warms the sky.
 When it's time for siesta, you can watch them go by.
 Beautiful faces, no cares in this world.
 Where a girl loves a boy, and a boy loves a girl.

            ”La Isla Bonita”  Madonna













南国の花ハイビスカス
(2014年5月30日撮影)


























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