おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

雨上がりの夜空に   (20世紀少年 第309回)

 2014年の屋上に戻る。第11巻の77ページ目、老人ホームの周囲を追っ手に包囲され、頼みの綱の宇宙人も来ないとあっては万事休す。サダキヨは肌身離さず持っていたらしいモンちゃんメモを取り出して、「君、これ持っていてくれないか。これにすべてが書かれてある」と言ってコイズミに手渡した。

 彼女は黒いシミがあるのを不審に思う。サダキヨは「血だよ」と教えてから、こう言った。「僕はモンちゃんを殺しちゃった」。この日、サダキヨとコイズミは初対面であり、コイズミは教え子で未成年である。そういう相手に人殺しの過去を自白するとは、よほど切羽詰ったのだ。さすがのコイズミも声なし。

 
 この場面に続いて、モンちゃんの最期についての回想があり、僕はいい者だと言いながら立ち去る2002年のサダキヨの背中に、僕は悪者だという2014年のサダキヨのセリフが重なる。しかも、そのあとまだ迷っている。彼は12年間、自分と”ともだち”が、いい者なのか悪者なのか決めかねたままであり、「答えを知りたくて上京したカンナを見張った」のだという。

 サダキヨが「12年間ごまかし続けた」のが先で、カンナが上京したのはその後としか読めないので、カンナはごく最近、東京に来たことになる。血の大みそかの後、彼女はずっと山形のおばあちゃんの下で育てられていたのだろうか。


 サダキヨは新宿の教会にも忍び込んで、マフィア相手のカンナの演説も聴いた。身を挺して最後の希望を守ったオッチョも見た。みんなが一人一人、戦っているのに、サダキヨは事ここに至っても、まだ「僕はどっちだ」と逡巡している。しかし、やっとこさ次にとるべき行動ばかりは決まったらしい。

 サダキヨ先生はコイズミに、そのメモをカンナに渡してくれと頼んだ。そして、自分が盾になって守るから、関口先生たちと逃げてくれという。コイズミは不安そうである。そりゃそうだ、この男が盾になったとて、オッチョのようには役に立つまい。


 しかも、先生は「宇宙人は悪者を助けに来ないんだ」と天を仰いで嘆息している。これにはコイズミも「はあ?」と訊き返しているが、サダキヨの理屈を認めてしまうと、宇宙人が助けに来ないのはコイズミも悪者だからということになってしまうから当然であろう。

 しかし、コイズミは知らずや、このとき二人の仲間が手勢を引き連れ、彼女を救うべく桃源ホームに向かっていたのだ。片や、免停の点数を心配するドライバーを叱咤激励して夜の街を車で疾走する遠藤カンナ、今一人は鵯越源義経の如く、敵の頭上めがけて天を駆けつつあるヨシツネ隊長。


 先日、清志郎の「ラブ・ミー・テンダー」の発売禁止を話題にしたが、歌詞の内容からすれば、RCの「雨上がりの夜空に」のほうが遥かにヤバい。「こんな夜にお前に乗れないなんて」だもんね。

 最初に異変に気が付いたのは、”絶交”を開始しようとした高須の部下だった。上から何か来る。屋上のコイズミも気配を察し、雨上がりの夜空を振りさけ見れば、光り輝く何かが接近しつつあった。彼女は咄嗟に、これまで散々サダキヨの夢想に付き合わされてきたので、「宇宙人?」と叫んでいる。

 さらに頼りないのはサダキヨ本人であった。ついに宇宙人が来てくれたと叫び、たぶん彼の人生で最後だったはずと思うのだが、「アーメン ソーメン ヒヤソーメン」のおまじないを始めてしまう。コイズミのほうがまだしも冷静で、上からも攻めてきたと判断、サダキヨを引きずって屋上から逃げようとする丁度そのころ、カンナを乗せた車が高須たちによる包囲網に突っ込んできた。爆弾娘は健在なのだ。


(この稿おわり)


雨上がりの夜空に 流れる ジンライムのような お月さま
RCサクセション「雨上がりの夜空に」)


入学シーズンといえば、やっぱり桜です。竹台高校にて。(本日撮影)