前回の続き。第八章「病について」から、もう一回分の記事を書きます。文中に「病にかかったものは当然不安を抱くはずと考えられる」と記しつつ、医師の立場からして「それがはっきり観察されることは案外すくない」とあります。
そうなる理由について、著者は「おそらく不安ほど耐えがたい感情はないので、無意識のうちに、自我を防衛するための工夫が行われるのであろう」と推察しています。
素人ながら、不安ほど耐えがたい感情はないのは、どういう理由によるものなのか考えてみました。たとえば喜怒哀楽のうち、怒りや哀しみは、本人も傍目にも、不安よりずっと強く表情や言葉に出るものだと思いますが、喜怒哀楽はたいてい、そういう感情を招いた出来事(きっかけ)が明らかですし、そうなれば対処もできれば、出来事が去ると、すぐに収まることもあります。
しかし不安はどうでしょう。私は幼いことから心配性でした。いやなことがきっと起きるという心配が今も昔も、私を困らせています。この心配性もたいてい何が起きるのか見当がついています。受験で失敗しそうだとか、仕事が納期に間に合いそうもないとか。
これらのほとんどは実際には起きない(いわゆる取り越し苦労で終わる)か、心配していたほどのことはなかったという結果が出て心配は去ります。また別のことで心配し始めるのですが、もって生れた性分なので致し方ないのです。
一方で、本章の不安というのは、「この病はもっと重くなるのではないか」、「長引くのではないか」、「治らないのではないか」というような、先の見えない落ち着かない状態が続くというような例でしょうか。これは確かに耐え難いものがありそうです。
本著作に「予期不安」という言葉が出てきます。女性の中には閉経に予期不安を感じるものもいるという文脈です。ネットで「予期不安」を調べてみると、精神科医の解説が多々出てきました。どうやら精神医学の学術用語らしいです。
関連してパニック障害ほか、精神疾患の病名も並んでいます。これはすなわち、不安が強すぎてに日常生活に支障をきたすようなら、医学へのアクセスが必要になるという事態です。経験はないですが、これで終わりという区切りがないのは怖いです。
一方で著者は上記のように、多くの病気において患者が、「無意識のうちに、自我を防衛するための工夫が行われるのであろう」と書いています。私はこの回避行動のことを、カウンセラーの資格の講座で習いました。フロイト父娘の概念、「防衛機制」です。
防衛機制は決して難解至極のものではありませんので、われわれ門外漢でも、けっこうわかりやすい解説をネットでも読むことができます。キーワードは、著者も触れているように「無意識のうちに」。知らず知らずのうちに、本能的に自分の心を守っています。
健康的なものも、病的なものもあるのが特徴で、特にフロイトが精神が重荷を背負う防衛機制として、「抑圧」を重視しました。無意識の中に閉じ込めてしまい、それが何らかの病状となって表出します。「斜頸」が一例でしょう。
他にも例には事欠きません。仕事仲間で幼児退行現象を起こしたものがいました。病名が付くほどではないにしろ、オンラインゲームやギャンブル、酒や煙草も、場合によっては単に楽しんでいるつもりでいても、無意識のうちに防衛機制を働かせているかもしれません。
この章の最後には、医師の心得という観点で、「実存的不安」という用語が出てきます。これは上記の病における不安とは異なるものと考えて宜しいかと思います。難しいものではありませんので(重いですが)、該当箇所を引用して終わります。次章「旅のおわり」に続きます。
一般的に言えば、人間の条件として、苦、老、死に対して何らかの不安をおぼえるは当然のことであり、正常であるというべきであろう。この「実存的不安」は、ひとそれぞれがこころの孤独の中で生きぬくべきものであり、人間はこれを経験しながらもなおこの不安を自分でコントロールしうるものである。
(おわり)

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