おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

暴走   (20世紀少年 第311回)

 単行本第11巻の表紙には、ギターを熱演中のケンヂが描かれている。類似の絵は同巻の41ページ目にも出て来て、その直後にカンナはケンヂが「俺は無敵だ」と語っていたのを思い起こしている。さて、この表紙絵の背景は例によって不気味なものだ。

 どうやら地球以外の惑星か衛星のようで、宇宙服らしきものを着た二人が立っている。人類はこれまで地球と月にしか立ったことがないはずだが、この絵では二人の頭上に、地球や月から見えないはずの天体が描かれている。「しんよげんの書」には「かせいいじゅうけいかく」が出てくるので、これは未来の火星なのだろうか。

 火星ならば、フォボスダイモスという惑星が周囲を巡っている。こんな風に見えるのかどうか、行ったことがないので知らないけれど。火星には二つの惑星があると、スウィフトは「ガリバー旅行記」に書いた。フォボスダイモス天体望遠鏡で発見される百数十年も前のことです。予言の書だな。


 今日は高須の話題。暗い。49ページに戻ると、高須は万丈目に許可を求めている。では、誰の”絶交”の許可なのだろうと考えてみた。彼女の主張は、オッチョの潜伏とユキジの地下活動に、サダキヨの暴走、カンナの覚醒、モンちゃんメモが加わるのは危険であり、「彼ら不穏分子を根絶やしにしておかなくては」、この私が困るわというものであった。

 この「彼ら不穏分子」には、カンナも含まれるのだろうか。少なくとも万丈目は、カンナの覚醒を「おめでたい」と嬉しそうにしているので、根絶やしの対象にカンナを含めているようには思えないのだが。高須の口火の切り方も「サダキヨが暴走しはじめたわ」であり、万丈目の質問も、「今、サダキヨはどこにいると言ったかな?」である。


 これらからすると、悪党二人の会話はサダキヨの”絶交”の是非であって、カンナは含まれていないと考えるのが筋だと思う。サダキヨ以外に現場には、関口先生と小泉響子がいるとの情報を二人は共有したのだが、この二人を巻き込むかどうかは、議論の対象になっていない。もはや、血の大みそか以降は、人様の命などどうでも良いのだろうか。

 許可がどういう内容で出たのか読者には分からないが、高須の部下に対する指令は、「このホーム全体を”絶交”よ」であった。皆殺し命令である。これは越権行為なのかどうか。部下の反応が「はい、よろこんでー」という調子なので、もうこの程度のことは日常茶飯になっていたのかもしれない。サダキヨも、「もしかして」と予測していた事態だった。


 しかし、部下による「正面入り口準備OK」の直後、異変が二つ起きて、高須主任は作戦変更を余儀なくされてしまう。地上から車、天上からヘリが突っ込んできたのだ。そして、高須はカンナの到来を知り、彼女が老人ホームに乗り込むのを見た。このビルごと爆破せよ、という高須の命令を受けて、さすがの部下たちも驚いている。通常は、サダキヨによると、「はためには事故にしか見えないやり方」なのだが。

 したがって部下の心配は、車とヘリの騒音に叩き起こされて集まりつつある周辺住民に気付かれてしまうことなのだが、高須の懸念は、サダキヨとモンちゃんメモにカンナが合流することであって、周辺住民も殺し方も、最早どうでも良い。だが、”ともだち”の娘を独断で殺してよいのか? 暴走振りは、サダキヨよりも、カンナを乗せてきた車よりも、高須のほうが酷くないか。


 ここで本人いわく、「遠藤カンナが死んでも、カンナの替りは私がつくる。”ともだち”の子は、私が産むわ」というのが高須の結論である。もっとも、ここまで冷静でいられるということは、とっくの昔に彼女は、この決意をしていたに違いない。後妻は、先妻の子に厳しいのだ。そして、繰り返しになるが、この時点でのカンナに対する”ともだち”の思いは、とうとう分からず仕舞いになった。

 そのころ、屋上では「ついに宇宙人が来てくれた」と欣喜雀躍、人生最高の至福の境地を味わっているサダキヨ先生に対して、「しっかりしてよ」と叱りつけるコイズミが、やってきたのは宇宙船ではなくてヘリコプターであることに気付き、敵は上空からも攻撃してきたと判断、サダキヨを引きずるかのように屋上から避難しようとする。そこへ意外や、ヘリから「小泉響子!!」と呼びとめる声が落ちてきた。


(この稿おわり)


これさえあれば俺は無敵だ(2012年3月27日撮影、秋葉原にて)




桜三月散歩道、か...(2012年4月8日撮影)