おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

2015年に西暦が終わる (20世紀少年 第322回)

 最初に読んだときに不思議に思い、未だに何故なのか分からないのは、なぜフクベエたちが2015年を西暦の終わる年に選んだのかという点です。「よげんの書」のクライマックスが2000年に来るのは、世紀末だから単純明快で宜しい。「はたして21せいきはくるのでしょうか」とは、ドラマティックではないか。

 それに引き替え、2015年は何の変哲もない年号である(現実に何か、とんでもないことが起きないといいのだけれど)。区切りという意味ではどうか。大阪万博の1970年から数えて45年。どうせなら2020年の50周年記念を選ぶのが妥当だと思うが、自分たちの年齢の具合でも気にしたのだろうか。


 第11巻第10話「母の言葉」は、スズメの鳴き声と、朝日が昇る海の絵から始まる。水平線からの日の出が見えるということは、映画館がある岸壁は太平洋側を向いているのだろう。吉田拓郎「落陽」は好きな歌の一つだが、苫小牧発仙台行きフェリーからみて、夕日は水平線に沈まないはず。津軽海峡あたりに、日本海に沈む絶好の観測スポットでもあるのかな。

 年末間近というのに、カンナは外で座り込んで夜を明かした。そこに鳴浜町の老人は、一晩帰らなかったカンナを心配して探しに来てくれたのだ。しかも、ウチのカアちゃんのつくった握り飯に、あったかいお茶まである。ヴァーチャル・アトラクションのケンヂも、コイズミに握り飯を持ってきてくれたものだ。お茶はなかったようだが。


 しかも老人は、お茶よりも大事な情報を携えてきた。昨日映写した本番の映画とは別の、没になったフィルムが出て来たのだという。女医さんが「カンナ」と呼んでいたことを聞いて、ようやく茫然自失の状態だったカンナも目を覚ました。再び上映会が始まる。町の人たちが、愛する人への一言を語るという趣向らしい。

 最初に登場する青年は「光代」に愛してるぞと叫んでいるが、まさか、高須光代ではあるまいな。次の山倉のおばちゃんは、照れっぱなしでNG。私は3番目の塩谷のおじいちゃんが好きだな。寝ているのか、一言もなし。そして、その次に「遠藤キリコ先生」が写った。キリコは服部と籍を入れなかったのか、それとも旧姓使用なのか。


 キリコは自己紹介から始めている。鳴浜病院で医師をやっていたそうだ。細菌研究だけではなくて、医療行為も行っていたらしい。続いて、「私はみなさんに顔向けできません。とんでもないことをしました。弟にも、娘にも。私はゴジラのような悪魔になってしまった」と語る。ゴジラは悪魔ではないのだが、キリコは微生物が好きなので、怪獣なんて悪魔みたいなものなのだろう。

 昨日メモを読んだばかりのカンナは、もちろんショックを受けている。母のメッセージは、町の人たちに”ともだち”の正体を明かせられないので歯切れが悪い。唯一の具体的な話として、せめてもの償いにこれからDr.ヤマネに協力をお願いに行くと言う。結論から言うと、山根訪問は大失敗ではなかったが、協力依頼という意味では手遅れだった。


 2002年以降、彼らがまだ力を持っているようなら、私の行動は失敗したと思ってくれとキリコは悲壮な決意を示した。そのときは誰かが止めないと、「2015年で西暦が終わってしまうの」と訴えている。ヤマネはフクベエを止めたが、しかし、西暦は終わった模様。事態はキリコの想像を超えて進展したのだ。

 老人は「ちっとも意味わかんねえべ」と感想を漏らしている。昨日、何回も見直したそうだ。でも爺ちゃんが何度も観たのは、西暦の終わり宣言を理解しようとしたためではなく、音声トラブルで聞き取れないキリコのセリフが分かるまで、読唇に励んでいたのだった。


 取り直しのフィルムもあったのである。テイク2だな、と言っているのはさすがプロ。今度はキリコも落ち着いていて、本来の趣旨である「愛する人への一言」に戻っている。キリコは、「カンナ、一所懸命...」と言った。続きは音声トラブルで聞き取れないが、老人が補足している。「幸せになれ」。一晩泊まった甲斐があったというものだ。

 カンナは老人に対して御礼を述べただろうか。コイズミは、ヨシツネに「必死に助けようとしてくれた気がする」と言ったし、サダキヨにも「あたしを守ってくれたのよね」と語った。比べてカンナは、こういう人生だから無理もないが、どうも愛想が良くない。「いずれまた会いましょう。嫌われるくらい長生きしてください。」ぐらいは言ったかな。


(この稿おわり)




「どこかで会おう。生きていてくれ。」
吉田拓郎「落陽」より。
(2012年2月26日、天草の落日)





ご近所(2012年4月8日撮影)