おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

世界同時多発細菌テロ    (20世紀少年 第159回)

 第5巻の95ページ目では、ラジオが番組途中でニュースに切り替わり、東京都千代田区小学館ビル付近から「謎の巨大物体が出現し、移動中との一報が入りました」と報じている。ラジオを聴いているのは、マルオとオッチョとモンちゃん、ユキジとフクベエとヨシツネ。場所は例の地下水道

 そこに、路上ライブを終えて、寝込んだカンナを背負ってケンヂが戻ってきた。彼は実際に巨大ロボットを見たのか、それともこのラジオ放送で初めて知ったのかは分からないが、感想は端的に「始まった」であった。

 第6話「さいしゅうかい」は、巨大ロボットが移動する姿を描いてから、海外の報道の様子に移る。狙われたのは国連の安全保障理事会常任理事国、パーマネント・ファイヴであった。


 最初はBBC放送。大英帝国では97年の悪夢が再来し、ロンドンの地下鉄で数人の客が血を吐いて倒れた。現実の世界ではこの5年後、ロンドンの地下鉄がアルカイーダにより爆破されるという悲惨な同時テロが起きている。私はイギリス旅行したときに何度も利用したロンドンの地下鉄に愛着を抱いているので、いずれも許せない。

 続いて、フランスではカフェ、中国では天安門前、ロシアでは赤の広場で同じような事件が起きたと報道されている。米原万里さんや佐藤優氏によるとロシア人は単なる酒飲みではなく、優れたジョークのセンスの持ち主でもあるそうだが、私は十代のころだったか、こういう小噺を新聞で読んだ覚えがある。

 モスクワの赤の広場で、ブレジネフ書記長の悪口を大声で叫んでいた男が警察に逮捕された。「これだけで逮捕とは、何の罪だ?」と男が問うと、警官はこう答えた。 「国家機密漏洩罪である」。


 さて、最後はアメリカの被害状況。97年、米国ではサンフランシスコが被災したが、今回はニューヨークであった。CBS放送のニュースでは、現場のロックフェラー・センターに向かったメイフィールド記者とカメラマンのスティーヴがテレビの実況中継中に大量出血した。

 1989年の12月、私は当時住んでいたロサンゼルスから飛行機に乗って、ニューヨークまで旅行に出かけた。NY郊外に住む友人夫婦の家に泊めてもらい、昼間は一人で観光し、夜は夫婦と食事や舞台を楽しんだ。常夏のLAから、間抜けにも私はTシャツ姿で出かけ、二人が出迎えてくれたニューアークの空港は雪の中であった。


 この旅行中、私は偶然、ロックフェラー・センターの前を通りかかっている。なぜ覚えているかというと、理由は二つあって、まず驚くべきことにビルの前の広場に氷が張ってあり、人々がスケートを楽しんでいたのである。摩天楼に囲まれた場所であり、東京でいえば丸の内や銀座のようなビジネス街、繁華街のど真ん中だ。

 さすがはアメリカ人、遊ぶことにかけては幾らでも知恵が湧く。地図で場所を確かめてみたところ、ロックフェラー・センターだった。この名は別の理由で覚えている。この直前に、三菱地所がこの不動産を買収したからだ。今となっては信じられないことだが、このころの日本には掃いて捨てるほどの金と蛮勇が、あるところにはあったのだ。


 さて、日本では永田町も霞が関も大晦日の夜とあっては閉まっていたのだろう、年中無休に違いない市ヶ谷の防衛庁(当時)に報道各社が詰めかけた。自衛隊は、危機管理委員会が発足されないと動けないという。しかし最高責任者の首相は、先の議事堂爆破事件で手にかすり傷を負い、虎の門病院に入院中。

 そこに現場から戻ってきた自衛隊の担当官らしき男性が報告に現れたが、人によって潜伏期間が異なるのか、記者に囲まれた瞬間に血を噴いて倒れた。そして、いよいよ物語はケンヂたちの動きを追うことになる。
 

(この稿おわり)


靖国通りからみえる九段会館。昨年、私がセミナーを受講した大ホールは、その数か月後に起きた震災の日に天井が崩落し、お二方が亡くなった。謹んでご冥福をお祈りします。
(2011年10月30日撮影)