第5巻の106ページ目、ケンヂたち7人がトラックにダイナマイトを積み込んで、拳銃を手にして沈黙しているシーンが出てくる。ケンヂが
「まさか”ともだち”がここまでやるとはな」と呟く先、東京の夜空を巨大な炎が焦がしている。
ケンヂはここで再び、「抜けたい奴は今からでも...」と語り始めるが、よりによって(と言っては失礼か)、ヨシツネに、「もうその話はいいよ」と口を挟まれてしまう。それでもケンヂは語り続けた。全文を引用するに値する。
ムチャはしないでくれ...
一般の人を巻き添えにしないように...
自分の命が危ないと思ったら...
一目散に、逃げてくれ。
頼むから みんな、死なないでくれ...
文字どおりの決死隊を目の前にして、リーダーがボソボソ語る言葉ではない。聴いている6人も無言である。しかし、このケンヂの言葉は、ヨシツネにより、ユキジにより、マルオにより語り継がれ、そして多くの人々の命を救った。
かつて、オッチョがバンコクの地で、周囲の人々の命を一つ一つ救い出していったように、ケンヂの正義の戦いも、仲間を守るところから始まったのだ。
ケンヂと同じ名前の宮沢賢治は、著作「農民芸術概要綱要」の中で、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と書いている。宗教学者の山折哲雄氏は、震災後に出版した「絆 今を生きるあなたへ」の中で、賢治のこの言葉を引用しつつ、「裏返していえば、一人一人の個人が幸福にならないうちは、世界に幸福は訪れない、ということでもあるでしょう」と述べておられる。
震災で、多くの人が身の危険を覚悟の上で家族や親戚、ご近所さんや患者さんの救出に向かい、あるいは水門を開けるために海辺に向かい、津波に流されて亡くなった。確かに個人の命は個人の死により終わるが、個人の命はその個人のためだけにあるものではないということを、彼らは身をもって教えてくれたのである。
一見、頼りないケンヂのこの出撃命令も、彼がこのあと示した行動により、決してただの綺麗ごとではなかったことが分かる。それを伝えるためにも、唯一の目撃者となったオッチョは、14年の歳月を要してまで、海ほたる刑務所から脱獄しなければならなかったのだ。
山折先生も言及されてみえるように、宮沢賢治には「グスコーブドリの伝記」という、犠牲をテーマにした恐ろしく重たい童話がある。ハリウッド映画なら、この手の犠牲者をヒーローと称賛するであろう。国連ならば表彰するであろう。だが、ケンヂの心境を思うに、彼はそういうものとは違う次元で、自責の念と闘っていたのだ。
(この稿おわり)
上野公園の菊の花。(2011年11月7日撮影)