おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

地球滅亡の日     (20世紀少年 第24回)

 第1巻第3話の61ページから63ページ目までにかけて描かれている地球滅亡の日の諸相については、実際、1960年代に子供向けの雑誌にしばしば特集が組まれていたのを良く覚えている。

 ここではタッチを変えて宇宙人襲来、太陽の異常爆発で地面が全て水没、核戦争、大気汚染、巨大隕石の衝突が描かれているが、私も小学校低学年のころ、「日本が全て水没する」という、数年後のベストセラー、小松左京著「日本沈没」を先取りするような予言を雑誌で読んだ。

 このとき幼い私が考えた避難方法というのは、木製の「たらい」に乗って一番近くの朝鮮半島に逃げようというものであった。なぜ親や先生を頼ろうと考えなかったのか、今でも不思議に思う。木のたらいという乗り物は、一寸法師の影響でも受けたのかもしれない。


 それにしても、たらいはどうやって調達するのか、独力で海を渡れるのか、水と食料はどうするのか、逃げた先の生活はどうするのか等々、具体的な計画は全く無くて、末期の帝国陸海軍のようだが笑えない。今次の震災で津波原発から命からがら逃げ出した人々は、日本海に浮かぶ空想上の私が置かれた状況と、本質的にあまり変わりがない。


 このような地球最後の日、人類滅亡の時などの絵は、マンガ雑誌ばかりではなく、良い子向けの雑誌「小学○年生」などにも盛んに掲載されていた記憶がある。この小学生シリーズの出版社は、「20世紀少年」や「ビッグコミック・スピリッツ」と同じく小学館である。

 今はどうか知らないが、当時の同社の編集方針には、幼い子供を脅かして楽しむべしという一条が入っていたに相違ない。そんなことだから、2000年の血の大みそかの夜、真っ先に巨大ロボットに本社を潰されてしまうのだ。


 閑話休題
 秘密基地でこれらの悲惨な未来像を読みながら、ケンヂは「それでも俺は戦う」と叫んでいるのだが、ヨシツネやマルオに、原爆や隕石相手にどうやって戦うのだと問い詰められて、「い、今は子供だけどさあ、大人になりゃあ...」と口ごもってしまい、オッチョに話を振ろうとしている。

 ところが、オッチョはその夏、アメリカで50万人を集めた音楽祭の話などしながら、FENの音楽にかまけていて相手になってくれない。「そんなに集まって何するんだ。盆踊りか?」と真面目に尋ねているケンヂとオッチョの間には、大人になりつつある進行速度に大きな差が出ている。


 ウッドストックについては、あとで詳しく出て来るので、そちらで触れることにしよう。以上のやり取りの中で、当時のケンヂにとって大事なことは、まず、そのときにラジオから流れていた音楽から受けた衝撃である。これについては次回で書きます。

 もう一つは、正義の味方として戦うべきは相手は、天災や戦争など正邪・善悪の区別をするのが難しいものではなく、誰が見ても明らかに悪いことをする奴らが必要であるということに気付いたことであろう。こうして彼は、「よげんの書」を作りながら、悪い奴らがどんな悪いことをすべきなのかを考え始めることになる。

 そのシナリオが級友らに悪用されるとは、ケンヂとて知るべくもない。これが一つの始まりだったのだ。そして、「もうひとつの始まり」は、「21世紀少年」の下巻、第10話まで待たないと出てこない。



(この稿おわり)




大隕石が衝突したとき、恐竜たちもこんな天文現象を目撃したのだろうか。
写真は2007年、ニュージーランドにて撮影されたマークノート彗星。
さすがは「National Geographic」。



































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