おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Jumpin' Jack Flash     (20世紀少年 第25回)

 
 小説家の村上龍は、若いころロックバンドをやっていて、「19回目の神経衰弱」などを唄っていたそうだが、龍さんには一つ忘れがたい名言がある。

 その一字一句まで正確に覚えていないが、「ラジオのボリュームを上げるとき、少年は大人になり始める」というような趣旨だった。ロックが好きな人には、衝撃的な説得力を持つ言葉であろう。


 実際に音量を上げるかどうかはともかく、「あれを聴いてしまった瞬間」というのが、多くの音楽好きにはあるに違いない。証人としてプロにお出ましいただこう。これも記憶頼りに過ぎないが、音楽雑誌に載っていた記事。

 「あのとき、俺たちは小学生で、学校の掃除時間にモップで床を拭いていたら、ラジオからその曲が流れた。俺たちは叫び声を挙げてモップを放り投げ、そこら中を走り回ったものだ」。「その曲」というのは、1962年に発表されたビートルズのデビュー・シングル「Love me do」、元モップ少年はスティング。

 もう一丁。「どの曲を聴いて歌手になろうと決意したのか」と訊かれたティナ・ターナーの歯切れ良い返事。「Come Together. The Beatles.」。


 私の場合は極めて軟弱で、余りの迫力に「ボリュームを下げてほしい」と思ったという淋しい過去がある。12歳頃のことで床屋さんのラジオから、AMの放送局が一体何を考えたのか、ハード・ロックが流れてきたのだ。こんなうるさいの聴けるかと思った。

 でも、その歌は頭の中でしばらくガンガン流れ続けたので曲調を覚えてしまった。高校生になって、「天国への階段」をじっくり聴きたくてZEPのファンに彼らの4番目のアルバム(あのタイトルは何と読むのだ?)を借りたとき、この曲が入っていたのは運命というものであろう。

 初めて知ったその曲名は「Misty Mountain Hop」、今でも好きで時々聴く。この曲名は「指輪物語」の「Misty Mountains」に由来するらしい。その和訳「霧ふり山脈」を、長いこと私は「しもふり山脈」と読んでいた。お里が知れるというものであろう。


 第1巻の67ページ。ケンヂの場合、その日その時は、草っぱらの秘密基地の中だった。オッチョが父親のお古を拝借して持ち込んだラジオのFENから流れていたのが、ローリング・ストーンズの代表曲の一つ、「Jumpin' Jack Flash」であった。

 「これの、どこがいいのか、その時はちっともわからなかった」らしいのだが、中学生の彼がホウキをギター風に抱えて、この曲を歌うシーンが続いて出て来る。


 英語版のウィキペディアによると、キース・リチャーズがこの曲で使ったのは、ハチドリ印で名高いギブソンアコースティック・ギターハミングバード」で、Dコードの解放弦だったというから、あの印象的な冒頭の3連打のリズムギターは彼の演奏なのだろうか。そうであれば、ケンヂがホウキ・ギターと声で再現しているリフは、ブライアン・ジョーンズのものか。


 中学・高校で私が聴いたロックの大半は、友人から借りたレコードやカセットによるものだが、なぜかストーンズのファンが周囲にいなかったため、初めて本格的にローリング・ストーンズを聴いたのは、大学に入って初めて迎えた冬、19歳、ストーンズの1960年代のヒット曲を集めたベスト・アルバムのカセット・テープだった。

 ストーンズの60年代は、古くからのファンに言わせると、「アンジー以前」の時代である。「サティスファクション」に始まって、段々と過激になってゆき、最後の方は「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「レット・イット・ブリード」、「ストリート・ファイティング・マン」、そして「悪魔を憐れむ歌」等々。脳味噌が撹拌されそうな音楽だった。


 同級生の少女、陸上部の山口に笑われて、ケンヂはホウキを捨て、本物のギターを持とうと決心する。私見ながら、山口に限らず、陸上部や水泳部には、なぜ美しい少女が多いのであろうか。部活動に限らず、国際大会のレベルにおいても、本来、美しさも採点される体操競技やフィギュア・スケートよりも、スプリンターやスイマーに美形が多いのは不思議な気がする。

 ケンヂは母親にギターを買ってくれとねだるが、「酒場で流しの弾き語りでもする気か」と一蹴され、小遣いをためて質流れのギター、四千円也を買ったまでは偉いが、山口に教えられてギターにも種類があり、買ったのはクラシック・ギターであったことが判明する。

 1997年、コンビニの前を通りかかった山口は姓も変わり、3人の子連れの主婦になっているが、「ケンヂ君、ギター、まだやっているの?」と訊いてくれるのだから、良い女ではないか。しかしケンヂの左手の指は、もう「プニュプニュ」になってしまっている。そして、そろそろ鍛え直す必要が出て来つつあったのだ。



(この稿おわり)



うちのナデシコ。すでに源氏物語に「大和撫子」の名が見える。
別名は常夏。とこなつは「常に夏」でなくて、夏の間ずっと咲いている花
という意味だそうです。 (2011年6月29日撮影)





























.