おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

遠藤さん      (20世紀少年 第180回)

 これまでに何度か触れたように、ケンヂは自宅の庭に埋められていた「よげんの書」に書いているとおりに、細菌や爆発物による無差別殺人テロが続発したことに、強い自責の念があった。実際には、オッチョほか秘密基地の仲間も知恵を出し合っているのだが、自分が中心になって作った(また、おそらく彼が言い出した)という事実は重かった。

 しかも、”ともだち”自身が、ともだちコンサートや、ケンヂとオッチョが地下で観たビデオの中で、ケンヂ一人を相手にして「遊んでいる」ことが明らかにしている。したがって仲間がどのように説得し、慰めようとしても、彼の思いは変りようがなかったのである。


 ところが、血の大みそかの夜、彼は巨大ロボットの情けない実態を目の当たりにして「こんなものは、俺達の空想した未来じゃない」と叫んだ。ようやく、怒りとともに、過度な自責から解放されて、「俺達」になったのだ。こうなれば、連帯責任であると考えるのが西洋的な合理性というものであろう。

 しかし、ケンヂの発想と行動は逆であった。彼は、まずマルオにスピードを落とさせた。第一の目的は、ぶらさがるための布切れを捕まえるためだが、これでマルオを多少は爆発から遠ざけることができる。トラックは、ケンヂが生還するためには最適の手段だが、手放した。ゴルゴ13は退路を確保するまで作戦を始めないが、ケンヂは生きて帰るつもりがない。


 さらに、彼とオッチョは二人で分担してダイナマイトを背負っていたが、ケンヂは備え付けの梯子に先に到達すると、オッチョのダイナマイトをまず受け取り、しかし、オッチョの手をとらなかった。オッチョがしがみついていた布は引きちぎれて、彼は甲州街道に落ちた。

 子供のころ、二人はいつも冒険仲間であった。ヨシツネやマルオたちがこわがって付いてこないときも、首つり坂の屋敷、ボールが飛び込んだ洞窟、怖そうな犬がうろついている屋敷の庭、二人して入っていったものだ。でも、ここではケンヂは単独行を選んだ。「じゃあな、オッチョ。ちょっといってくらあ。」と別れの挨拶をするケンヂの瞳は澄んでいる。殉教者のような気分の高揚も見せはしない。


 今年の3月11日、大地震の数十分後、東北の太平洋岸を中心に巨大な津波が、多くの人々が暮らす土地を襲った。宮城県南三陸町では、最後の最後まで住民に向けた放送で高台に避難するように呼びかけていた防災担当の女性職員ほか、大勢が犠牲になった。

 私は巨大ロボットに挑戦したこともないし、津波に相対したこともない。ケンヂや、大震災で救命にあたった人々の心境を遠くから推測するしかないのだが、死の恐怖を抱きながら現場に踏みとどまる人たちは、ただ単に使命感に燃えているだけではなく、おそらく自分の命というものが、実は他者と共有されているのだということを瞬時に直感するものではないだろうか。


 犠牲者を顕彰するだけでは、映画「ハルマゲドン」のようにカッコよくなってしまうのみである。アメリカは鈍感にも東京電力原発事故後に現場で働く人々を、「フクシマ フィフティ」などと勝手に名付けて英雄視した。日本人はそんなに功利的ではない。

 漫画と震災を一緒に語るなというお叱りがあるかもしれないが、私は真剣です。ケンヂの表情や言動に悲壮感はないし、南三陸の女性職員の声も最後まで落ちついたものだった。二人の名字は奇しくも同じで、遠藤さんとおっしゃる。



(この稿おわり)



取り壊しが決まったと聞く南三陸町の防災対策庁舎。この建物の前で、お線香をあげてきました。改めて、お亡くなりになったみなさんのご冥福をお祈り申し上げます。
(2011年10月5日、現地にて)