いろいろ気疲れすることがあったので、久しぶりに漫画と映画の感想文という本道に戻る。掲題は当方の自己紹介ではなく、「20世紀少年」のコミックス第11集に出てくるキリコの書き置きの一節で、もしかすると失踪する際に研究所仲間に読ませたくて残したのかもしれないが、長女のカンナが読んでしまう。ゴジラの娘。
その全文は、「わたしはゴジラ わたしは15万人を踏みつぶした」というものだった。そんな場面を思い出したのは、先日、別のところで書いているブログに関連して、長崎の原爆についての貴重な情報源を教えて下さった方がおり、連想でゴジラを思い出したためです。
その情報源の一つを、ご案内するところから始めます。2011年5月、といえば何が起きている時期かお分かりいただけると思うが、NHKスペシャルで放映された「原爆投下 活かされなかった極秘情報」という番組がある。DVDで今も販売されているし(まだ買っていない)、単行本にもなっている(これは最近、買った)。長崎への原爆投下の事前情報が(正確には曇天の小倉から急きょ変更されたらしいが)、大本営には5時間前に届いていたという内容を含む。
しかしNHKのタイトルどおり、その通信部署から上がって来た緊急速報は、国家権力が握りつぶした。原子爆弾という新兵器の概略は、日本にも真珠湾の前から知識としてあったし、その威力は広島で実証済みだったから、どの国より日本の政府・軍が切実に知っていたのに。この番組制作当時の東京電力福島第一原子力発電所の有り様と重ね合わせた反民主党政権の人々が騒いだが、その後、沈殿してしまった。
ゴジラについては、このブログで断片的に何回か書いて来ており、以下は殆どその繰り返しなのだが、要はまとめておきたくなった。最初のゴジラ映画は1954年公開だから、私が生まれる6年前だし、ゴジラに関する本を読んだこともない。だから、裏話のようなものや、マニアックな知識などは持ち合わせがない。本当に単なる感想文。
もっとも、ゴジラについては庵野秀明が、新聞か雑誌の取材で語っていたのだけは、何かのはずみで読んだ。もう5年かそれ以上も前のことだから、まだ「シン・ゴジラ」の企画の話題が世に広まる前の時期だったはずだ。そのとき庵野さんは、初代ゴジラが歩き回った道筋は、1945年3月10日から11日の夜にかけて行われた東京大空襲の際に、B29の航空隊が飛んだルートと同じだったと述べていた。
そのルートは詳しくは知らないが、隅田川の沿岸、特に左岸の被害が酷烈であったことは子供のころから聞いている。映画では、ゴジラが暴れている場面として、銀座、鉄道(おそらく東海道本線)、国会議事堂近くが写り、後半はラジオのニュースだろうか、上野・浅草から隅田川方面を抜けて東京湾に消えたという音声情報だけが出る。つまり、いまの拙宅あたりを無断で通った。
公開された1954年は、東京大空襲の1945年から9年しか経っていない。10万人に及ぶという死者を出した現実の戦争を体験した被害者や遺族がご存命なのに、怪獣映画の映像にはできまい。間違いなく配慮がなされている。重傷者も含めれば、15万人くらい踏みつぶされたに違いない論外の戦争犯罪だ。
ゴジラ映画に出てくる明神礁という海底火山の爆発も、あるいは、映画の企画のきっかけになったというビキニ環礁でのアメリカの水爆実験と日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の被爆事件も、十年は経過している私の少年時代になっても、少年誌やテレビに繰り返し出てきた。特に、第五福竜丸は、私の田舎に近い静岡県焼津市の遠洋漁業の船だったから、風評被害も含めてローカルでも大ニュースだった。
庵野秀明も浦沢直樹も、私と同じ1960年の生まれであることは何回も書いた。空襲ルートまで知っているエヴァンゲリオンの作り手が、こういう経緯も知らずに「シン・ゴジラ」を引き受けるはずもなく、このリメイク版には、初代を彷彿させる要素が多々、登場する。ゴジラの背中が光ったりとか、たびたび核兵器が話題になるのもゴジラ映画ならではのことだ。
明神礁で悲しい遭難事件に遭った海上保安庁が、最初のゴジラ映画の「賛助」として冒頭のクレジットに出てくる。配給は戦争映画の本家、東宝。作品中でゴジラが最初に上陸したのは、小笠原諸島という設定であるが、この時点で小笠原はまだ返還されておらず、アメリカが占領したままだから、ゴジラも分別よろしく米国領地に土足で踏み込んだのだ。なお、今年(2018年)は小笠原諸島の返還50周年記念にあたる。おめでとうございます。
この映画に何度も出てくる「放射能」という言葉は、その後しばらく鳴りを潜めたが、福一の事故以来、放射線量という物理学用語で復活した。ボブ・ディランは小学校で、放射能が降ってきたときの避難訓練をやらされて、うんざりしたと自伝に書いている。机の下にもぐる練習であったらしい。私たちの場合、放射能雨を浴びると髪の毛が抜けると言われ(ひどい間違いではない)、帽子をかぶっていろと言われた。
今も昔も変わりはなく、自覚他覚の症状が出るまで、親も教師も手の打ちようがなく、症状が出れば出たで、もう素人の手に負えない。数少ない参考情報は、広島と長崎の写真に「はだしのゲン」。ゴジラ映画には、長崎の被爆から租界してきたという人たちが出てくる。まだ記憶が「生」の時代の映画なのだ。
この怪獣をゴジラと名付けた古生物学者は、「困っている偉い人」の役なら誰を措いてもこの人に限るであろう志村喬である。初対面のはずなのに、ジュラ紀の生物が水爆で寝た子が起きたとか、その核爆発でも平気だとか、何でも知っている。ゴジラの数え方を「一匹」と定めたのも彼だ。
特撮は円谷英二で、監督よりも私たちには身近です(監督の名前が出てこない)。このチームが創り上げたゴジラの叫び声や足音や、恐竜といえはジュラ紀という印象は、「タイムマシンにお願い」から「ジュラシック・パーク」に至るまで、路線を定めて微動だにしない定型を残した。
ゴジラの背中に並んでいる不気味極まる背びれのようなものは、志村博士の書斎にミニチュアの骨格モデルがあったステゴサウルスの背中が出典ではないかと思う。この教授の名字が山根。ただし、「20世紀少年」の山根君に似ているのは、むしろその弟子の芹沢さんという若い科学者だ。平田政彦が演じている。
芹沢氏は、かつてのイスラエルのダヤン国防相や、丹下段平のおっちゃんのような片目用の黒い眼帯をしており、戦争で顔の右半分に大やけどを負ったらしい。そのせいか、山根やブラックジャックと似て、頭は良いが偏屈、人間嫌い、実験好き、そしてただ一人の女に心を許しており(ピノコも含めています)、それが地球を救う騒動の元になる点も、「20世紀少年」に似ているといえば似ている。
人類もまずは火力で反撃した。「フリゲート艦隊による爆雷攻撃」と言っている。この時代にもう「フリゲート」がカタカナ英語として使われているとは驚いた。爆雷と来たか。まあ、確かに潜水艦と似たような敵ではあるけれど。でも、歯が立たない。最後は化学兵器で溶かして、お骨にした。
最近はインターネットのおかげで、昔の記録映像までPCで観られるのは有難いが、硫黄島や沖縄で米軍が使った火炎放射器のホンモノの映像まで観てしまった。テニアン島で戦死した伯父の部隊も、あの被害に遭っている。去年、まだ黒く焼けた岩肌を現地で見た。あの火炎放射の炎は、各種の怪獣が口から吐く火とそっくりだ。まあ機能も目的も同じようなものだから、当然かもしれないが、なお、初代ゴジラは、むしろ霧吹きに近い。
広島の原爆を搭載したB29は、このテニアンの滑走路から飛び立ち、まっすぐ北上して硫黄島(小笠原村に所属する)の上空まできて、左前方に進路を変えて広島に向かった。上記の大本営の情報隠匿は、そのまま真っすぐ東京に来るという恐怖と動転のなせる業だったかもしれない。
原発事故は「アンダー・コントロール」だと過剰広告して呼び寄せたオリンピック・パラリンピックが、あと二年後にここ東京で開催される予定だが、本当に大丈夫か。それにしても、他の大会は「開催都市」なのに、なぜ東京だけ開催都道府県が許されるのだ?
決まったものは仕方がないので、先日は厳しい固定資産税の取り立てに応じて納税してきた。核廃絶をやる気が全くない現政府だが、せめて平和の祭典にふさわしい大会になるよう、軍事行動中の国は立ち入り禁止にしたらどうか。念のため、選手も監督も帽子をかぶろう。
(おわり)
テニアン島の青空 (2017年1月14日撮影)
青空よ心を伝えてよ 悲しみは余りにも大きい
青空よ遠い人に伝えて さよならと
「ブルースカイ ブルー」 西城秀樹 合掌
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