おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

長崎の雨  (第1115回)

 前回の続きです。広島で友人と合流して山陽新幹線に乗り、博多で降りて最初に見物に出かけたのが大宰府天満宮。今週の台風も含め、今年の九州や四国は集中豪雨で大変な被害にお遭いですが、この1982年7月の四国九州旅行も雨が多かった。

 四国で野宿した夜に台風が来たのを覚えている。風雨を避けるために近くにある川の橋の下に避難したものの、今後は水位が上がってきた。やむなく駅舎まで歩き、軒下で夜を明かすことになった。勿論、一睡もできず。

 
 大宰府でも雨が降り、持っていた古い傘が風雨で壊れてしまった。さらに雨脚は激しくなり、天満宮そばの民宿に泊まったものの、聞いたことのないほどの雨音が宿の屋根や壁を叩く。もっとも若かったから、「嵐が来よった」などと旅情に浸っておりました。

 甘かった。翌日、近くの駅まで行ったところ、大きな手書きの看板が改札に立っていて、「長崎本線 全面運休」と書いてある。九州は時計と逆回り(西回り)で進むつもりで、この日は長崎に泊まる予定だったのだ。いきなり、こうだ。やむなく反対の東回りにした。日田駅のそばも水がたまり、材木が浮かんでいたのを覚えている。

 その晩のテレビの報道で、長崎がたいへんな豪雨に襲われたことを知った。楽しみにしていた眼鏡橋も壊れてしまったらしい。結局、この旅で長崎県だけは行けず、後に出直すことになる。同県を中心に死者行方不明者は300人を超えたという悲惨なニュースを聞いて、では一日前に長崎に着いたら、我々はどうなっていただろうと語ったものだ。


 二つ目の原爆が落とされる前日(1945年8月8日)、アメリカは焦っていただろうと前に書いた。そう思う根拠の一つは、ソ連満洲侵攻だが、他にも手元の英文資料によると、翌9日の九州は天候が悪化するという予報がテニアン島に届いている。

 さらに、後日ボックスカーと呼ばれることになるB29の燃料タンクの一つが故障した。しかし作戦中止の選択肢はなかったらしい。明日、機隊を組む乗組員たちは、夜中に地図を広げ、懐中電灯で照らしながら空中での集合場所などの修正作業を行ったと書いてある。


 実際、9日は当初計画地だった小倉が「濃霧と煙」(どうやら近くを空襲した後だったらしい)のため迂回せざるを得ず、次の候補だった長崎も曇天だったが、燃料の限界もあり、雲の切れ間から落とした。

 映画「ローレライ」で妻夫木青年が演じていた人間魚雷の特攻隊員は、その役割からして残酷だが、さらに出身地が長崎だった。彼の脳裏に浮かぶ故郷の風景に、眼鏡橋が写っている。その直後、長崎の悲鳴がローレライの脳神経を直撃する。


 原爆の投下について、「トルーマンによる正式な承認は記録されていない」などという暢気なことを書いているサイトが散見されるので、こういう日だから、本人が何といっていたか、もう少しまともそうなサイトをご案内します。

 トルーマン大統領は、合衆国ミズーリ州の出身で、そこにあるミズーリ大学のトルーマン図書館(University of Missouri, Harry S. Truman Library & Museum)の英文サイトに、トルーマンの日記帳が活字起こしのうえ、ネットに公開されている。

 
 1945年7月25日の日記には、「午前11時に会議」と書いてある。会ったのはチャーチルスターリン。その続きに、「the most terrible bomb in the history of the world」の話題が続く。この爆弾は、今日から8月10日までの間に日本に落とす予定とトルーマンは書いている。この7月25日という日付は、ポツダム宣言の前の日だ。

 日記の続きに、トルーマンは戦争大臣(the Sec. of War。陸軍長官と訳されることが多い)のスティムソンとの合意事項として、こういうことを書いている。「我々の攻撃目標は、陸海の軍人であって女子供ではない」。

 したがって、「ジャップがいかほど残忍、冷酷、無慈悲、狂信的であろうとも、世界の公共の福祉のため、世界のリーダーたる米国は、この爆弾を古都や新都(京都と東京か)に落とすことはできない」と決めている。


 翌日発効したポツダム宣言は最後に、日本軍の選択肢は降伏か、さもなくば日本の即時壊滅であると、暴力団ならではの決まり文句が載っている。トルーマンはその日記に、ジャップが降伏するはずはないが、チャンスは与えるのだと書いている。

 広島と長崎には「陸海の軍人・軍属だけが住んでいる」ことなどあり得ないという事実から、しっかりと目をそらしている。それに、この文面でいくと、連合軍の攻撃の目的は、軍事施設の破壊ではなく、人殺しに過ぎないことも明白だ。正直なものである。

 黒い雨は広島が有名だが、長崎はどうだったのだろうか。次に降るのは、世界のリーダーたる米国かもしれない。狂信的な軍事国家に極度の経済制裁を加えるとどうなるか、覚えていないか。そしてツケは結局、国家権力から遠いところに回って来る。せめて8月は、そういうことを考えよう。





(おわり)


1945年8月9日投下、プルトニウム爆弾の搭載地点
(2017年1月15日、テニアン島にて撮影)












 行けど切ない石畳
 長崎は今日も雨だった


(2017年7月21日、美濃国香六にて撮影)





















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