おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

明かりの下の燭台  (第1130回)

 いじめの問題を考えるのは難しい。ここしばらく幾つか試してみたが、まとまりがつかない。ともかく今回も思いついたことを書きます。本日(2017年10月22日)は、日本の政治社会が大きく変わるかもしれない衆議院選挙が行われた。投票に行ってきました。大型台風の接近で、いま外は大雨。

 今日のタイトルは、最初のうち「道徳の教育」にしようかと思っていたのだが、堅苦しそうなので止めた。でも、その話題から入る。すでに公表・報道されているように、小中学校で道徳教育が、「教科化」されることに決まり、近いうちに実施される。


 教科化というのは厳密な定義を知らないが、大学でいえば選択科目から必須科目になって、単位取得が義務付けられるというようなことなのだろう。私の義務教育時代の「道徳」の授業は、月に二三日で不定期だったような覚えがある。

 文部科学省の説明文などを読むと、この教育制度の変更(学習指導要領の改訂)は、「深刻ないじめの本質的な問題解決に向けて」というのが、その背景の第一に挙げられている。ここまで来たのか。道徳の授業で、いじめは減るだろうか。期待するほかないが。


 少し歴史的なことに触れると、道徳教育に類するもので、最近、話題になったのが「教育勅語」だ。あれは幼稚園で教えておりましたな。中には良いことも書いてあるという意見があるが、個別の事柄の好き好きはともかく、道徳は教育の場で本格的に教え込むものではない。

 法律と異なり、道徳は地域や所属する組織・共同体により多様に異なるものであり、全国統一規格で「これを守れ」というものではない。私たちは思想や言論や信教の自由を持っている。言い争いは多いが、お互い様だ。だが権力から強制・弾圧されるのだけは駄目です。


 先の大戦前に、「修身」という名で道徳的な教えを行う授業があった。これは敗戦により、GHQに禁じられたのだが、上記のごとく少しづつ学校教育に復活させてきた。また、その合間に教育基本法や学校教育法が改正されて、道徳的なものが入り込んできている。用意周到なものだ。

 法律で決まったものは、どうしようもなく、あとは教育現場で教員のみなさんが工夫していただくほかない。他方で、家庭は別の生活舞台なのだから、家族なりの人の道を考えながら子供に伝えていくのだ。


 教科化に向けて、教科書やシラバスが準備されており、その一端がネットでも拝見できる。少し驚いたのは、詳細は省きますけれども項目の中に、「ペリリューの戦い」とか「エルトゥールル号遭難事件」とか、大日本帝国万歳的なものが入っている。

 他方で、私が中学校の道徳の授業で、ただ二つ印象に残った題材のうちの一つ、「明かりの下の燭台」がまだ頑張っているらしい。1964年、前回の東京オリンピックで、女子バレーボールが初めて正式種目になり、強化の甲斐あって優勝候補の一角とされるところまできた。

 
 学校の部活で似たような苦しみ悲しみを経験している(あるいは、するであろう)青少年に向けて、良い題材だと思う。人数に限りのある晴れ舞台のメンバーから、一人外さなければならない。大松監督は鈴木選手を選んだ。それも退団ではなく、マネージャーを依頼する。

 このエピソードは、鈴木さんの心境や言動が、道徳の授業の対象になるのだろう。それはそれで異論はない(ただし、滅私奉公に使わないように)。一方で私は、年齢・性別、そして管理職を務めた経験から、大松監督の心中や如何に、といまだに思いを馳せる。


 道徳の授業で、修身的・論語的に、「これをしなさい」、「あれをしちゃだめ」と一方的に言われてばかりでは、児童・生徒もうんざりするだけだろう。特に、いじめの問題は、そういう理屈で教え込んで収まるものではないと思う。

 ひたすら感情、情動の赴くままにエスカレートするから危険なのだ。人の心の痛みというものに惻隠の情を持てるかどうかに尽きる。こいつ、どんなにつらいだろうか、というところから大松監督のチーム作りは山場を迎えたはずだ。

 最後は敵のオーバーネットで、「あれ?」という愛嬌のある終わり方をして、日本女子バレーは初代の世界王者になった。魔女のみなさん、当時の「結婚適齢期」であったため、決勝戦で大松一家は別れ別れになった。


 もう一つ印象に残っているのは、実話ではない。「よくも、こんなものを読ませたな」と、当日げんなりしたものだが、菊池寛の短編小説で「入れ札」という。ごく短いので、ぜひお読みいただきたいのです。青空文庫さんが、ここでも貢献なさっている。

 赤城の山も今宵限り。関東平野の北に波打つ赤城山は、真珠湾攻撃の旗艦空母「赤城」の名でも名高い。国定忠治とその一家は、司馬遷風にいうと「侠客」、現代風にいうと殺人・強盗・賭博行為と物騒な生業であるが、清水の次郎長と並んで、私のガキのころは庶民の英雄であった。


 あとは読んでのお楽しみと言いたいところだが、楽しめない。だが、私たちは、人の心の暗い部分を見せられてしまうこともあるし、人の心の暗いところを覗きこまないといけないときもある。他人だけではなく、自分のも同様だ。大人になるとは、そういう目に遭うということを教えないといけない。




(おわり)



関東平野の青空  (2017年9月23日撮影)






 かわいい子分のてめえたちとも
 別れ別れになるかどでだ − 国定忠治








































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