おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

20世紀ラーメン少年  (20世紀少年 第337回)

 第11巻の第3話「自爆」は、万博のテーマソングがヒット・チャート独走中の春波夫氏が、演歌歌手ならではの派手な衣装で、マネージャーのマルオを控の間に残して、”ともだち”に謁見する場面。興味深いことに”ともだち”は、首相や国民的歌手クラスに直接会うときは、素顔のままらしい。

 この日の”ともだち”の髪型は、第1巻当時、お面を付けずに出て来たころと同じで、ひっつめているのか、なでつけているのか、とにかく素顔のフクベエの髪型とは、特に若干、散らかった感じの頭頂部とは異なる。顔が絵が描かれていないため、これ以上これが誰なのか詮索しても意味がないが、とにかくフクベエの顔をしていたということだけは後に確かになる。


 春さんは「この日のために」、サイン会でファンの似顔絵を色紙に描きながら絵画の練習してきた。モデルの気に障るかもしれないと心配しつつ、見たままで写生する技術を磨いてきたのだ。さらにいえば、それに先立ち正月の素顔面談の資格を得るために、表向きは”ともだち”の広告塔になる決意をしてまで、万博ソングの歌い手を引き受けたということだろう。

 ”ともだち”と春波夫は、デュエットでその歌を唄いはじめた。途中から歌手は応援に回り、”ともだち”の顔立ちを脳裏に刻みこまんとする。別室のマルオは、”ともだち”の歌声を聞かされて怒りがつのる。彼の脳裏に浮かんだのは、私のことは気にするなと言い残した春さんの言葉、そして、「ちょっと、ラーメンでも食いにいくか」と声をかけてきたケンヂの姿。やっぱし、ラーメンか...。


 何度も書いたが「20世紀少年」において、ラーメンは重要なコミュニケーション・ツールである。ケンヂおじちゃんとカンナ、カンナとチャイポンに王暁鋒、ユキジと神様、神様とコイズミ、後には蝶野刑事とルチアーノ神父、まことに多士済々の賑わいだが、やはり誰かひとりを選ぶのなら、ラーメンといえばマルオであろう。

 例の缶カラに、チキンラーメンを入れたほどの年季の入りようである。彼がラーメンをいただいている写真やシーンは少年時代から大人になってからも、至るところに出てくる。これは息子のアツシ君にもしっかり遺伝しており、2000年に母方の実家がある博多に疎開させるときには、とんこつラーメンが美味いという説得が功を奏している。アッちゃんは無事だろうか。


 カンナが思い出すケンヂはたいていギターを弾いているのだが、マルオの場合は、事ここに至ってもラーメンのお誘い姿となって、控の間の天井方面に浮かび出た。マルオの目から悔し涙がこぼれる。彼は信管のピンを引き抜こうとした。このとき結果的に、彼と春さんの命を救ったのは皮肉なことに、まず、”ともだち”側の人たちであった。

 次に謁見を申し入れていた友民党の幹部が控室に来ていて、その部下らしき男が、「あ、厚生大臣」と声を掛けたのが耳に入って、思わずマルオは行動を止めた。呼ばれた相手は、「私は元大臣だよ」と言い直している。現職は国際伝染病救済基金の名誉会長らしい。正直でよい。日本の外務省では、元大使は何時まで経っても大使と呼ばねばならず、ひたすら名目大使が増殖している。


 国際伝染病救済基金とは、たぶん第13巻に出てくる”ともだち”の「万一のとき」の遺言に出てくる、お香典の寄付先の組織の名称であろう。ちなみに、ここで厚生大臣と呼ばれているので、2015年には厚生労働省も元の厚生省と労働省に泣き別れたかと思ったが、名誉会長の訃報を伝える新聞報道では元厚労大臣になっている。名誉会長といっても、彼は人生最後の日に友民党の最高意思決定会議に出ている。

 マルオはこの会話の前に、この男が到着したのを見ている。国連で表彰された有名人なので顔が分かる。それは、「税関職員の立場を利用し、2000年、日本にウィルスを流入させたユキジの上司」であった。憎き道連れが増えて、マルオの怒りを増幅させたばかりだったのだ。


 名誉会長にもたらされたのは、個人的な吉報であった。切迫早産のおそれがあって母体まで危ないと言われていた娘さんがお孫さんを産み、幸い母子ともに健康であるという。ここで、ようやくラーメンはマルオの脳裏を離れ、血の大みそかのときのケンヂの最後の言葉が浮かぶ。人を巻き添えにしないでくれ。頼むからみんな死なないでくれ、と。

 春画伯が所期の目的を果たし終えて謁見の部屋を後にしたとき、マルオはソファに座ったままだった。師は問う。「今日はやらないのかね」。二人して立ち去りつつ、「自爆や、人を巻き込むようなマネは、あいつと一緒です。」とマルオは言った。建物の外に出ると、元日の空は晴れている。二人の影が長い。まだ朝なのだろうか。それとも冬の陽が低いだけか。約12時間後、マルオは”ともだち”の正体を知る。


 服装が違うけれど、ケンヂがマルオをラーメンに誘う場面は、第3巻第2話の「決意」に出てくる。1997年、2年生のアッちゃんもご一緒だ。この決意とは、地球を救わなければならないというケンヂの一大事であった。ケンヂが「Let It Be」のアップル屋上ライブのように、警官が駆けつけるほとの騒ぎを起こした直後のことだ。

 このとき、ケンヂはマルオに頼みごとがあった。接待ラーメンみたいなものだ。用件は重大で、一緒に地球を救うおうというものだった。だが、ケンヂはマルオ親子がラーメンのお替りなとして仲睦まじい様子を見て、誘いを断念している。このときケンヂは心中で、こうつぶやいている。「こいつを巻き添えになんてできない...」。最初から、この人はこうだったのだ。


(この稿おわり)




上野公園名物の紅桜(2012年4月15日撮影)