おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

会いたかったよ キリコさん (20世紀少年 第667回)

 マルオとキリコの質疑応答が始まる。第20集の104ページ目。マルオは「訊きにくい話なんですが」と遠慮気味であるが、キリコのほうは何でも話すっていたでしょと、そっけない。
Q1: カンナの父親は本当に”ともだち”なんですか?
A1: ええ。
Q2: ”ともだち”は、フクベエ?
Q2: ええ。


 傍でケロヨンも深刻な面持ちであるから、相手の臓腑をえぐるようなこの問いを彼もこれまで訊くに訊けなかったのであろう。これまでカンナの父親が”ともだち”であるという話は、”ともだち”本人やカンナの校長など信用できない人物の口から聴いたのみであったが、Q2により確実になった。

 そして後の展開で分かるが、少なくとも血の大みそかを演じた”ともだち”、その日、ロボットの中からケンヂが見た塔の上の男、キリコ自身も覆面をかぶってるのを見た”ともだち”はフクベエであった。ただし上記は、キリコが嘘を言ってないというのが前提条件である。これを疑う読者はまずおるまい。


 この残酷な事実はきっと男たちからカンナにも伝わる話である。それに、キリコは下手すると実験に失敗して死ぬかもしれない。命がけの人間が嘘をいうか。第2集の終わりで死んだ男は、死ぬ寸前にケンヂに対して「死ぬ寸前の人間が嘘を言うだろうか?」とドンキーの言葉を信じていることを伝えている。ちなみに彼は腹を刺されたということは、その手口からしてピエール氏同様、田村マサオが疑わしい。

 「”ともだち”は三年前に一度死に、そして復活した」とマルオは続けている。発砲事件があったとき彼は現場のすぐ近くにいた。学校から出て来たオッチョから”ともだち”が、フクベエが死んだとの報告を受けた。マスコミもそのように報道した。間違いは無いはずだった。しかし、オッチョとユキジはフクベエの顔を新宿で見た。”ともだち”は万博開幕式で復活してみせた。


 では、フクベエは死んだふりをしていたのか。それとも本当に大工ヨセフの子のように復活したのであろうか。マルオの質問は核心部分に触れる。「あなたアメリカから帰国後、彼に会いましたか?」と訊かれて、キリコは決然と「会ったわ」と答えた。ケロヨンとマルオは意外だったらしく驚いている。いや、これは深刻な事実にこれから直面するにあたっての覚悟の表情か。

 ”ともだち”とキリコの面談は、おそらく彼女の帰国後でともだち歴元年ごろ、場所は内装が似ているから後にカンナが同じ男に合う「ともだち府」のタワーの部屋だろうか。「やあ、よく帰って来てくれたね。会いたかったよ。キリコさん。」と”ともだち”マスクは言った。カンナの表情は厳しく無言である。


 さてさて、自分の「カミさん」を「さん付け」で呼ぶ男は、私の世代では殆どいないと思うが、夫婦には夫婦の事情というものがあるので、これだけでは他人とは言い切れまい。逃げた女房にマスクづらで再会するというのも風変わりだが、すでに正体が知れているので開き直ったか。

 それにしても、MCHの製薬工場が火災炎上したのは、弁護士の推理によれば”ともだち”の自作自演で、つまり放火か爆破である。タイミング良く防毒マスクをつけてウィルス回収隊が来たのだから、市原さんの言うとおりであろう。それでは、仮にケロヨンが体を張って助けなければキリコは死んでいたかもしれないのだから、あまりに乱暴な聖母のお迎えということになる。


 ウィルスを手配したときに”ともだち”が、「せいぼがこうりんした」と語ったことは、市原弁護士が証言しているしサナエが見た週刊ポストの広告にも載っていたが、遠藤貴理子がその「せいぼ」であったと公表された形跡がない。実質的にウィルスそのものが「せいぼ」であって、キリコは死のうが東村山で好きにしようが、どうでも良かったのではないか。

 フクベエは極悪人であったが、家族にだけは酷い仕打ちをしたことがない(まあ、キリコを騙したこと自体が酷い仕打ちであるが)。少なくとも表向きは頼もしいパパさんだったのだ。赤ん坊のカンナを抱き上げずにはいられなかったのだ。もしかしたら娘と一緒にいたかったから、2000年の地下に彼自身が危険をおかして乗り込んできたのかもしれない。この先、物語は「ともだち府」に乗り込むカンナ一行と、キリコたちの会話が錯綜する絶妙な構成で展開する。



(この稿おわり)



サクラソウ。今年の東京は寒かったので、一度に春の花が咲いた感じ。
(2013年3月19日撮影)
















































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