おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

地球を救う男 (20世紀少年 第770回)

 ケンヂと”ともだち”との再会の場面が近づきつつある。第22集の194ページ目、マルオが発進させた軽トラは先ずロボットを追いかけた。座席の3人はトラックの後ろにサダキヨが忍び込んだのを知らない。サダキヨはケロヨン親子と共にワクチンを配る役割よりも、”ともだち”との決着を選んだらしい。

 トラックに無線で指示を出す声は、その交差点を右、三つ目の路地を右にとだんだん偉そうになっていく。氏木氏はトラックの行き先が、どんどんロボットから遠ざかっていくことに気付いた。別の用事があるらしい。声は最後に「曲がったところで止めろ」と命令口調になった。


 車から降りたケンヂが最初に見つけたのは、「丸尾文具店」の看板。私は最初に読んだときに、このシーンに至るまで「マルオ」というのは体つきが丸っこいからマルオというあだ名がついていたと思いこんでいたのだが、どうやら苗字らしい。屋上といえばサダキヨなら、マルオといえばチキンラーメンである。

 このラーメンの登場は私の生まれる前だ。今も堂々と売られているロングセラー。個人的にはサッポロ一番のシリーズが好きなのだが(特に塩ラーメン)、先駆者チキンラーメンは半世紀以上経っても、その人気は根強いようだ。ちなみに、チキンラーメンは鍋に入れ熱湯を注いで食べるので、原理的にはサッポロ一番よりもカップヌードルに近い。


 マルオはファンシーショップになる前の店をいきなり見せられて驚いている。「俺たちのガキのころの町のまんま」が目の前になる。そこを曲がってしばらく行くと...というマルオの指摘に対して、うちの酒屋があると返事はしたものの、ケンヂは別の方向に歩いていく。

 「奴が見せたいのはこっちだ」とケンヂが案内する先に出向くと、そこはジジババの店先であった。森中アイスクリームもウルティモマンのガムもある。「見ろよ、ケンヂ」とマルオは興奮しているが、ケンヂにとっては見たくもないものが並んでいるのだ。「いや、いい」と断ってケンヂは先に進む。


 母校あり。「学校だ。しかも古い校舎のまま。」とマルオはいう。彼やケンヂは同じ小学校と中学校に通っている。「学校」だけでは小中のどちらか分からない。カツマタ君が「僕こそ20世紀少年」になったのは中学校のはずだが、校門の鉄扉は第1集や第14集に描かれている小学校の入り口とよく似ている。

 学校の正面入り口の前に、おそらく校長先生らが集会などの挨拶に使うお立ち台があり、向かって右にディスプレイ、台座の上にリモコンを抱えた”ともだち”が立っている。「やあ、来たね、ケンヂくん。」といつもながら馴れ馴れしい。ケンヂは無言。”ともだち”はさっそく用件に入り、「何が”地球を救う男”だ」と端からケンカ腰だ。


 何とか思い出そうとしたものの、ケンヂ自身が「地球を救う男」と名乗った記憶が私にはない。ドンキーと腹を刺された男に「地球を救え」と重たい遺言を背負わされたのは確かだが、”ともだち”はそれを知っていたのか。それとも「よげんの書」の一節、「地球の平和を守るために」を引用したか。

 何はともあれ、救う相手が「人類」ではなく「地球」である点が好ましい。山川草木、すべて救うのである。仏様と発想が同じだ。動物だって風邪をひくし花粉症にもなる。ウィルスの進化形が人類のみに悪影響を及ぼすとは考えにくい。キリコの実験にはサルやラットも使われていたことだし。

 
 ケンヂに反応がないので、”ともだち”は話題を変えた。そこのモニター画面は、ロボットのカメラの映像だと言う。氏木氏の住まいが映っている。常盤荘。そこで今、君の可愛い子が休んでいるよと聞かされて、さすがのケンヂも驚いた。発信機に人質、手段は選ばない。ケンヂは「やめろ」と言ってから両膝を地面に落とし、「やめてくれ」と頼んだ。 

 「何が”平和を守る男”だ」と”ともだち”は言う。地球の次は平和か。「思い出せよ、お前こそ悪の大魔王じゃないか」と”ともだち”は吠えた。悪の大魔王は「よげんの書」に出てこない。引用元はハクション大魔王か。「思い出せよ」が彼の人生の重荷を象徴している。地球も平和も二の次で、本題は極めて個人的な事柄なのだ。




(この稿おわり)





熱湯3分、お鍋で1分でも可 (2013年6月2日撮影)






 あくび娘とひとがいう...



































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