おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

潮騒  (第1286回)

それでは重松清その日のまえにの読書に戻ります。以前、本書に登場する重病患者は、みんなガンを患っているような気がすると書きました。これには個人的な事情もございます。うちの母方は、いわゆるガン家系です。

ガン家系は正式な医学用語ではないようですが、血がつながっていて、特に食事ほか生活習慣を共にしているのですから、似たような病気になっても不思議でも何でもありません。


当家の場合、私からみて母方の祖父、母、一番仲良しだった従兄弟の三人は、私も含めてお互い外見がそっくりであり、体質にも共通点があります。この三人のうち祖父と従兄弟がガンで亡くなり、母はステージ3のガンになりましたが手術が成功して十年以上生きています。

おまけに私は酒のみですので、ガンを発症しそうな材料が揃っていますから、いつか「その日」の宣告を受けるかもしれないという覚悟だけは出来ています。先回、ガンは「お別れができる」という点に拘ったのも、心の準備のためです。


さて、「その日のまえに」は前半に単発の短編が四つ。一方で後半は、前半もからめつつ同じ主人公一家の物語になっています。これまで前半の「ひこうき雲」と「朝日のあたる家」を読みました。今回が三つめの「潮騒」です。

生死にかかわる小説群ですが、重松清お得意の子供たちの軽快な言動を前面に押し出しているため、重苦しいばかりの読書にはならないのが本書の特徴です。しかし「潮騒」は他と比べ重量感があります。このため感想文も複数回に分けました。


潮騒」という作品が三島由紀夫の小説と、山口百恵の映画にあるのは知っていますが、いずれも未見です。辞書的な意味は当家の広辞苑(第六版)によると、「潮がさしてくる時、波が音をたてること。また、その響き」。万葉集に出てくるというから古い言葉です。

私はこの夏、この潮騒を耳にしました。離島で地元の方と静かな浜辺にいたとき、小さいながらも急に波が立ちました。沖合を船が通過した後のような波です。地元の人によると、ここは狭い入江なので、潮が満ちる時にこういう波が来るのだと教えてくれました。


この短編「潮騒」は、精密検査の結果、余命三ヶ月のガンを宣告された主人公が、かつて暮らした町の海を見たくなり、電車に乗るところから始まります。主な登場人物が大人の男二人とあって、会話も切実なものが多いです。

更に言えば、本編は現在の二人の物語だけではなく、小学生の同級生だった彼等が、友達をその海で失ったという悲惨な過去の思い出も絡んできます。そして本編は短編集「その日のまえに」の結末に大きな役割を果たします。


この日から余命三ヶ月の「晩年」を迎えた主人公は佐藤俊治という名で、同級生の石川から昔の呼び名そのままで「シュン」と呼ばれています。石川の綽名は見た目を反映して「でめきん」。小学校の「クラスのガキ大将」で、当時は薬局の子でした。

シュンが訪れると、いまは同じ所にドラッグストアがありました。店長はやはりでめきんの石川でした。同級生といってもシュンのうちは転勤族で二人が同級だったのは3年生と4年生の二年間のみ。


シュンの子供たちは小学生ですから、二人はそれきり二十年か三十年は会っておらず、石川は突然の来客に見覚えがありません。シュンが名乗っても思い出せない。このためシュンは、「これならどうだと、口調を改めて」、二人が関わった過去の出来事に触れます。

「......オカちゃんのことで、俺、みんなから怒られて、でめきんに殴られたんだけど」。オカちゃんは海水浴が好きで、シュンを誘ったのに断られて、一人で海水浴場に向かいました。そこで海難事故に遭ったらしいのですが、とうとう遺体はあがりませんでした。


ようやく石川も思い出して驚いています。シュンは石川に文句を言いに来たのではないと補足しました。そもそも石川がいまもこの町にいるかどうかも知らず、沿岸の開発が進んで見えるかどうかもわからない、その海を見たくてここに来ました。

後の場面でシュンは、オカちゃんに呼ばれたと語っています。精密検査の結果が出るまでの一週間、なまじ希望もあるだけに、シュンは苦しみました。しかし悪い結果が出て、彼は一気に自らの死と向き合うことになりました。今は亡きオカちゃんを思い出したのでしょう。


(つづく)


オニバス青い花  (2025年8月2日撮影)





















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