重松清「その日のまえに」を読書中です。これまでに短編「その日」まで進みました。アインシュタイン博士は相対性理論において、時間と空間は絶対的ではない(伸びたり縮んだり歪んだりする)と説いたそうですが、私たちの自覚のうえでも、特に時間は同じ速さで進みません。
子供のころ永遠に続くかと思われた時の流れですが、段々と進み方が速くなります。この私も齢を重ねるに従い、「さあ、どう使おう」と慌て始めました。「その日のまえに」の登場人物たちは、まだ若いのにこの重圧に直面します。
妻の和美がその日を迎えつつある主人公も、二人の息子も、彼女の病状の進行が医師の見立てより速いのに驚き悲しみつつ、その日その時が近づくと、悩み苦しみ言い合いもするほどの時間があることに困惑しています。
すでに記事にした出来事としては、和美は4月のある朝、個室に移され、主人公は病院までお見舞いに行き、主治医に緊急用ということで電話番号を訊かれ、病院からの着信音のみハッペルベルのカノンに設定しました。
病院のあとで経営する会社のオフィスに戻り、部下から留守中の出来事を知らされ、石川さんと電話のうえ頼まれ仕事を引き受けて帰宅します。ここまで感想文を書きました。和美が亡くなるのは、この翌日です。第三者から見れば個室に移った次の日に、意識が戻らぬまま逝くのですから「急変」です。
二人の息子は高校生の健哉と、中学生の大輔。「その日」は4月初旬に訪れました。二人は進級したばかりで、あさって始業式を迎えるという時機に、帰宅した父から「明日、ママに会いに行こう」と告げられます。ママの和美は次男の大輔と、今度病院である時は元気になっているからと、指切りげんまんをしていました。
このため、大輔は「よくなったの、ママ」と訊いてきました。健哉は肩をびくりと震わせただけ。この先のやりとりは、中途半端に引用したくないので、ご関心のあるかたは是非、本文でお読み願います。三人とも混乱し、傷つきます。
三人は同じベッドに並んで寝ます。健哉はどうやら眠っていない様子。大輔は眠ったまま笑顔で泣いている。日付が変わり、ハッペルベルの着信音が鳴りました。担当医の永原先生は「一刻を争う状態というわけではありませんが、朝からは、もう病室に詰めていただいたほうがよいと思います」と静かに語りました。
先生は担当医からの連絡を受けて、これから病院に向かうそうですが、危篤の病状を主人公に伝えつつ、その時は今すぐではなく、明日の朝以降であると言います。既に延命措置に入っており、意識は戻らないだろうと聞かされました。
主人公は自分たちが、もう「その日」を生きているのだと判断しました。しかし、まだ時間が残されています。これはこれで辛い。じっとしていられないのでしょう。もう深夜二時過ぎなのに、和美の父に電話をかけ、部下の工藤くんにも暫く出社できないが後を頼むと連絡しています。主人公夫妻が周囲との人間関係を大事にしてきたことが、この二人の反応で分かります。
やはり健哉は眠れなかったようです。そして電話の音を聞き、父が黙って微笑み頷いただけで、事態を察知しています。「すぐ行くの?」と訊いてきました。父親は明日で良いから寝ておけと伝えます。健哉は少し不満そう。すぐに駆け付けたいのでしょうに、時間がかかるというのです。
主人公も死は突然やって来て親しいものを連れ去ると考えていて、その不意な訪れが怖かったのですが、ドラマや小説と異なり、臨終に間に合うかというような慌ただしさもなく、「時間はゆっくりと流れる」のを知りました(もちろん、この病気の場合は、ですが)。死を恐れる者は、「その時はいつか突然来る」という揺るがぬ大前提に立っているのかもしれません。
拙ブログで前に書いた宮沢賢治「永訣の朝」を読んだ時の感想を、主人公が健哉に伝えるのは、この時です。「けふのうちに/とほくへいつてしまうわたくしのいもうとよ」。突然とは限らなかった。しかも何ヶ月かの闘病生活も挟んでいます。
今日はゆっくりで良いと、主人公は心の中で和美に話しかけます。今すぐ行きたいという健哉に横になって休めと言い、シャワーで髪を洗います。先ほど健哉にビールなんか飲んで話すなと言われたばかり。日常に戻りたいのでしょう。
しかし和美が買い備えていた歯ブラシが4本あるのが目にとまり、主人公は床に倒れ込んで泣きます。翌朝、和美の希望もかなわず、その日の空は爽やかな晴れどころか、重い雲が立ち込めていました。
(つづく)

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