おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

大事なもの     (20世紀少年 第117回)

 第4巻の第3話「つながり」は、私が特に好きな場面の一つです。万丈目の偶然の登場で、チャイポンの追っ手に狙われていた命が助かったショーグンと夜の女メイは、万丈目の車でバンコク郊外のバス停まで送ってもらう。始発のバスが来るまでのおよそ10分、ショーグンとメイが言葉を交わすシーンである。

 やっと子供に会えると泣いているメイに、故郷の家族はお前の収入が頼りだろうと言いながら、ショーグンは札束を渡す。プミポン国王肖像画、タイ・バーツ。メイにお礼を言われ、強いねと称賛された彼は、先回触れた師匠の「大事なものを持っているということは、強いということ」という話をして聞かす。


 そして、「大事なものが何もない俺は、どうやったって強くなれないということだ」と、ショーグンは夜空を見上げながらつぶやいている。ここから先の、メイの心優しい言葉は、そのまま引用しよう。

 「亡くなったショーグンの子、待ってたと思うよ。ショーグンが会いにくるの、最期まで待ってたと思うよ」。そして彼女は、男の左胸を軽く突きながら、「大事なもの、ここにあるよ」と語ったところで、ちょうどバスが来た。彼女も故郷に子供を待たせる身の上だ。バスに乗れば願いがかなう。


 かつて、パキスタンの古都ペシャワールに出張で滞在したとき、半日ほど休みがとれたので、地元の博物館に立ち寄ったことがある。この都市はかつてプルシャプーラとも呼ばれ、ガンダーラ美術の栄えたところである。はたして博物館には、少し白人風の容貌も入り混じった数多くの仏像が展示されていた。

 日本と違って、何世紀に作られただの、様式がどうのだの、持ち主や文化財指定が何だのなどという饒舌な説明が一切ないのは清々しいほどの簡潔さだが、ただし、たった2種類の表示、すなわち全館「ブッダ」と「ボサツ」(原文は英語)しかないのには笑った。2階の部屋には、世界中の貨幣が展示されていたが、ただ一言「coins」であった。正確無比だな。


 ここでいう「ブッダ」とは、仏すなわち如来のことであり、シャカ族のゴータマ・シッダルタという歴史上の人物のみを指すのではない。悟りをひらいて成仏したもの全てである。

 他方で菩薩とは、古き上座部仏教においては、如来になるために修行中のもの。カンボジアのアンコール・トム遺跡に林立する四面像は、観世音菩薩のお姿だ。大乗仏教においては、自らの成仏のため(自利)のみならず、われら衆生の救済(他利)も願って修行を続ける有難い存在となった。

 このため、菩薩はこの日本でも広く信仰されてきた。私たちは如来像を拝もうとしたら、大きな寺か博物館に行かなければならない。されど菩薩様なら、観音さまなりお地蔵さんなり、至るところにあるし今も現役だ。花が活けられ、水で清められ、お供え物や赤い羽織(?)まで事欠かない、至れり尽くせりの立場におられる。


 東日本大震災以降、日本の言論や報道において、一つの新たな動きがあったと思う。僧侶や神官などの宗教者が積極的に発言し出したのである。それに喋っているだけではない。被災地に赴き、法要を勤め、ボランティア活動を先導する宗教者が次々に登場した。

 私はその中の何人かの話を聴き、取材記事や手記をできるだけたくさん読んだ。印象的なものが多かったが、なかでも記憶に残ったのは、ある僧の菩薩についてのお話しであった。われわれの心には、いつも大切な人たちが一緒にいる。26歳のジョン・レノンが「In My Life」で歌ったように、今も生きている人もいれば、すでに亡くなった人もいる。

 その僧によれば、すでにこの世にはない人たちであっても、われわれを元気づけたり慰めたり、叱咤激励したり、何かと忙しく面倒を見てくれる人々の魂は、いまも我らの心中に生きているのであって(私にも家族や友人の顔と名前が何人か浮かぶ)、そのように死してなお、生きるわれらを救ってくれるものこそ菩薩なのだという。良いお話しだなと思いました。


 メイがショーグンの心臓あたりを指さして「大事なもの、ここにあるよ」と語ったのは、翔太君という菩薩のことなのだ。これまでショーグンの苦しみの源だった翔太君は、オッチョが、ともだち暦3年に重大な役割を担って、戦闘行為に身を投じるとき、父を救うことになるだろう。

 バスのステップをメイが登り行く。振り向いて、「あたしたち友達だよね」と尋ねる彼女に、ショーグンは「当たり前だ、メイ、友達だ」と応えた。聖なる娼婦は「ホラね、大事なもの、また一つできたよ」と幸薄い感じの笑顔を見せ、明け方の空に去っていった。これを最後にオッチョの前半生は、やすらぎのときを二度と迎えることがなかった。


(この稿おわり)

秋といえばコスモス。 (2011年9月11日撮影)