おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

バンコク ばんざい (20世紀少年 第879回)

 さすがはオッチョだ。下巻の153ページ、ヨシツネが国連で「オッチョというのも、あだ名でありましてえ」と冴えないスピーチを続けている最中に、場面は別の外国に切り替わる。タイの首都バンコクの繁華街だ。

 これを書いている時点で、現実のバンコクには戒厳令が敷かれている。私の印象ではタイという国では五年か十年に一回ぐらいのペースでクーデタが起こる。なんせ私は生まれて初めて海外旅行に行ったのがタイで、その翌年に大政変が起きているのだ。


 そのたびにタイでは国王陛下が政治と軍事の責任者たちをお召になり、「もっと真面目にやれ」と説教し、時には「いつまで朕に頼るのか」と呆れさせては元に戻るのが微笑みの国タイランドなのだが、今回はどうやら簡単ではなさそうだ。

 さて漫画では、ガラス窓から外に投げ捨てられた男が、そのまま道路に叩きつけられている。物音を聞いて駆けつけてきたのか、ピストルを構えていた警察官たちは「警察だ大人しく出て...」と言い差したところで、大人しくない男たちが続いて飛び出してきたため「ひいい」と驚いている。


 棒を抱えた男とナイフを握った男、その後からオッチョが飛鳥のごとく宙を舞って追いかけてくる。この暑い国の昼間だというのに、彼は例のコートを羽織ったままだ。今さら体中の傷跡を隠しても仕方あるまいに。

 無謀にもこの相手に対し、選りによって棒術で戦おうとした敵は、左のパンチ一撃で倒されている。ナイフの男は「えやああ」と掛け声こそ力が入っているが、何かの影が陽の光を遮った途端、首筋に蹴りを入れられてノックアウト。戦いは瞬時に終わった。


 「女に非道なことをしやがったら、ただじゃおかねえ」とオッチョはつぶやく。ずっと以前もクスリ関連の仕事は嫌で、女だけだと業務の選り好みが激しかったが、営業方針に変わりはないらしい。仲間の合い言葉、「ただじゃおかねえ」も健在だ。

 警官の一人が「あ」と気が付いた。「あなたはあの伝説の...」と言いかけた頃には、同僚も相手の素性を察し、そろって「ショーグン」と叫んで敬礼している。


 ショーグンは「敬礼なんかしているヒマないだろ」と警官隊をにらみつけた。一段と愛想が悪くなっている。そして、「俺達には、まだまだやらなくちゃいけないことがある。」と言い捨てて踵を返した。

 この一連のセリフは巨大ロボットを転ばしたあとでケンヂが述べたものだ。オッチョの長髪が風に吹かれて流れている。空の向こうの同級生に向かって「そうだろう、ケンヂ」とオッチョは問うた。その答えは、友よ、風に吹かれている。


 なぜ彼はバンコクに戻って来たのだろう。女に非道なことをする奴なら日本にだっているだろうし、”ともだち”の残党も潜伏しているに違いないのに。その答えは、第3巻ですでに彼が出していた。ヤクに溺れたプーが屋上から飛び降りようとしたときだ(この作品は飛び降りマンガでもある)。

 「俺には、故郷に友達なんか一人もいない。俺の故郷じゃ、友達なんて言葉は何の意味もない」とオッチョはプーに言っている。このセリフの前半は今やそうとも思えないし、後半はとんでもない間違いだったが、これに続く「ここには友達がいっぱいいる。こんなところだからこそな」という部分は、まだ生きているのだろう。


 サダキヨの死を見届けてから、オッチョは古巣に戻ってきて、一時停止していた家業を再開したらしい。ここは彼にとって辛い思い出の地でもある。翔太君の訃報が届いた町でもあるのだ。

 そのあとオッチョは放浪し、師に出会った。これがまた口の悪い坊さんで、オッチョをアリンコ扱いしたのだが、その代り川に突き落としたり毒キノコを食わせたりして強くしてくれた。こうして彼は立ち直り、メイや元工場長の悲惨な最期も乗り越えてケンヂを手助けに行ったのだ。


 それにチャイポンのこともある。20世紀においてチャイポンはショーグンの宿敵であった。万丈目とつるんで命まで狙ってきたのだ。しかし、チャイポンは海外進出先を日本に求め、”ともだち”と戦ってカンナを守り死んでいった。チャイポン亡きあと、二流のヤクザ者がその縄張りを荒らすのを看過できようか。

 戦闘場面の数を比べれば、ケンヂやカンナより遥かに多いのがオッチョだった。そんな毎日がこれからもずっと続くのだろう。遠い昔おそらく彼が言い出したに違いない秘密基地、主たる脚本家であった「よげんの書」、自分の目玉とサンデーで作り上げた俺達のマーク、散々世間をお騒がせしたが、その責任は充分とった。


 一緒に逃げた角田氏も、サナエとカツオの姉弟も、出会ったときには弱者だった彼らはオッチョの薫陶を受けてたくましく育った。もう日本に思い残すこともないのだろう。かくして彼は日本を飛び出した。どこにいても地球は救えるのだ。

 これを最後に我らのオッチョは作品から去る。映画「マッド・マックス」の三作目のラスト・シーンで、ティナ・ターナーが演じる悪女は、主人公にこう言い渡して消えた。「グッド・バイ、ソルジャー」。どうして悪もなかなか死なない。健闘を祈る。



(この稿おわり)




 こんにちは こんにちは
 月へ宇宙へ 地球を飛び出す
 地球の夢が 緑の丘で
 1970年の こんにちは
 こんにちは こんにちは 握手をしよう

    「世界の国から こんにちは」   三波春夫







 Maybe you'll be out there on that road somewhere,
 in some bus or train traveling along.
 In some motel room there'll be a radio playing
 and you'll hear me sing this song.
 Well if you do you'll know I'm thinking of you
 and all the miles in between.
 And I'm just calling one last time
 not to change your mind
 but just to say I miss you baby,
 good luck goodbye, Bobby Jean

           ”Bobby Jean”  Bruce Springsteen




 たぶん今ごろお前はどこかの街にいるんだろう 
 バスか電車で一人旅でもしているのだろうか

 安宿のラジオから音楽が流れているとしたら、それは俺の曲だ
 その歌を耳にしたら分かってくれると思う
 遠く離れていても 俺がお前のことを気にかけていると
 
 最後にもう一度、電話をしようか でも今度は呼び戻すためじゃない
 いなくなって寂しい ただそれだけを伝えるために
 幸運を祈る じゃあな、オッチョ ちょっと行ってくらあ




(2006年5月22日、アテネにて撮影)


































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