おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

俺ら東京さ行ぐだ (20世紀少年 第749回)

 
 今朝の東京は荒天なり。ピンク・フロイドの「One of These Days」を思い出します。

 コンチはカンナの肩を軽くたたいてねぎらい、親指一本を立てている。この印、日本では昔から「OK」の意味だが、これも含めて指を使う合図というのは国や文化によって意味が大きく異なるので良く知らない土地では控えるべきです。少し前に出てきた人差し指を一本立てる「しっ」も含め、どうやらコンチは指のコミュニケーションが好きなようだ。ラジオのDJには不要のような気もするが...。

 そういえば”ともだち”も真似っこのプロとして正確を期すなら、サンデーとオッチョに倣い横向きにすべきだろう。アメリカで中指だけを立てられたことが一度だけある。前の車を追い抜いたら気に障ったらしく、強引に抜き返してきて同乗者たちが一斉にこれをやった。今にして思えば、アカンベエでも返礼しておくべきであった。まだ未熟者でした。

 
 コンチはカンナのあとを引き継いで、プロらしく「イエーイ」と始めている。英語「yes」の俗語、「yeah」からきているのかなあ。ビートルズの音楽が日本に入って来たとき、「イエイエ・ブーム」と呼ばれる現象が起きた(本当です)。「yeah」は「やったぜ」という意味合いにも使いますね。ちなみに私はサッカーのゴールが決まったときは「よっしゃ」となぜか角栄風になる。
 
 コンチは「今のは主催者の声だ」と補足している。そう、カンナは自己紹介すらしていなかった。DJは「こりゃ万博会場に行くっきゃないな」と元気いっぱいだが、隣のカンナの表情がさえない。とんでもないことを言ってしまった私。コンチは彼女を元気づけるように、もう一度あの曲をかけながら「絶対来る。俺も保証する」と断言した。絶対来るときは、こういう風には言わないだろう。


 続いてカンナが驚いたことに、コンチは「全然わからなかった。あれはおまえだったのか」と言い始めた。「ケンヂ、聞いてるか。おまえ、あの時、俺に言ったよな」とマイクの向こうのケンヂに向かってコンチは叫ぶ。そして再び彼の回想シーン。食事と録音を終えてケンヂがスタジオを立ち去る場面だ。行く先のあてはあるのかとコンチは訊いた。

 ケンヂは「ああ」と肯定し、そこには会いたい奴がいっぱいいるし、やらなきゃいけないこともたくさんあると言った。いずこへ(ラテン語で、クオ・ヴァディス)とコンチ。ケンヂの行き先は「東京だ」であった。コンチはこれを、かっこよかったと褒めている。北海道に転校するときに、あんな風に別れればよかったという。これはケンヂの言葉遣いそのものというより、明確な目的意識と決然たる行動ぶりを評してのことだろう。


 コンチはケンヂにCCRを教えてもらったときのことを覚えている。珍しく夕焼雲が描かれている。二人の少年は夏服だからたぶん引っ越しの直前ではなく、おそらくヨシツネの記憶では神社公園のベンチで寝転がってラジオでCCRを聴いていた6年生夏休みのケンヂだろう。コンチはのちにDJとして立て板に水を流すがごとくしゃべるようになるが、この時分は「ク、クリ、クリクリ?」と口ごもっている。バンド名にある「Creedence」という英単語は存在せず意味不明。

 コンチは黒丸のメガネをはずして「いいか、ケンヂ、一緒に秘密基地作った仲間を裏切るな。」と言った。裏切る前には約束が必要であるような気もするが、まあ場合が場合だけに細かいことを言うのはやめよう。仲間の頼みをきかないことが裏切りなら、2000年にそれをやらかしたのはコンチなんだが、あんまり追及するのもよそう。「俺はコンチだ」と最後の仲間、コンチは小さな目から涙をあふれさせて言った。こりゃ行くっきゃないな。



(この稿おわり)




さつきフェスティバルにて (2013年6月2日撮影)





 忘れはしまい あの約束の
 こんなにきれいな 茜雲

    松村和子 「帰って来いよ」





 東京へ出だなら
 銭こば溜めて
 銀座で山、買うだ

    幾三さん、山は買えましたか?


























.