第22週第4話「あんたの勝負」には、まず久しぶりに”ともだちタワー”内の円卓会議場が出てくる。一人の幹部が先日の”ともだち”の放送について、何処までが真実で何処までが嘘なのか、ジョークなのか本気なのかと怒鳴り散らし、誰か説明できないのかと混乱している。「”ともだち”の言う真理はどこになるんだ」という問いに対して隣席のヤマさんが「真理か...」と醒めた感じでつぶやいている。
別の男が「あげくの果てに、”ケンヂ君、遊びましょ...”」と続け、エリツィンみたいな風貌の男が「ケンヂ一派のケンヂは死んだんじゃなかったのか」と言っているのが興味深い。トップたちからして、血のおおみそかで爆死したはずという程度の認識のままケンヂ問題を放っておいたのだ。でもこれは仕方がないのかな。織田信長の死体だって未だに出てきていないことだし。
他の男たちは、あの発言には何か深い意味があるんじゃないかとか、”ともだち”一流の謎かけかなどと不毛の議論をしている中、第4集のロボット会議で「50メートルっているのはいいな」と発言していた古株が、「発言を額面通り受け止めると」と前置きして面白いことを言い出している。彼の受け止めは「ケンヂという幼なじみへのライバル心」「子供時代のトラウマを引きずった復讐」である。
私はもう一度、第21集の該当箇所を読み返しましたが、”ともだち”は世界や世の中の悪口を言っているが、額面通り受け止める限り「遊ぼう」と誘っているのであって、ライバルとかトラウマとかは「額面」ではなくて「深読み」と言うべきだろう。まんざら大外れでもないようだが、”ともだち”命の高須に、今の発言は粛清ものだと厳しく非難されている。そのとおりと認めたようなものだな。
出席者らが震え上がり、この会議の参加者も減ったと高須が薄ら笑いをしているところをみると、すでに彼女の恐怖政治が始まっているのだろう。いくつか空席があり、8名しか出席していない。このすぐあとで「この場に”ともだち”がいたら」、と高須が言うとおり、この場に”ともだち”がいない。あの放送をしたあとで行方不明になっているのではないか。
詳しくは後日書くが”ともだち”は、かつてオッチョが住んでいた団地の復元された部屋に、今この場にいない誰かと一緒に潜んでいるのではないかと推測する。ともあれ高須はすっかり目が座っていて、”ともだち”なら「考えることなんかやめよう」と言うでしょうと語って無意味な会議を切り上げた。高須は忙しい。スパイを占有させてリモコンを盗ませる作戦を遂行中なのだ。さて、少し前の新聞に精神科医の香山リカ氏がコラムに乗せていた記事の一部を引用します。
(引用はじめ) 精神分析医フロイトの影響を受けたラスウェルという政治学者は、「権力と人間」という本の中で面白いことを述べている。世の中には権力に目がない「政治家タイプ」と呼ばれる人たちがいて、この人たちがしばしば政治家になるのだが、ラスウェルによるとその動機の多くは「子ども時代のイヤな思い出」など個人的な動機に基づいているのだという。ラズウェルは、このタイプの政治家について「個人的な動機を、公の目的にすり替え、公共の利益の名において合理化できる人」という説明をしている。(引用おわり)
この文章はラズウェルの思想が本論なのではなく、去年の総選挙前の「石原氏」と「橋下氏」の言動について語っているものだ。念のため、彼女がこの二人を「政治的タイプ」と明言しているわけではない。むしろ、香山さんが「個人的な動機を、公の目的にすり替え、公共の利益の名において合理化できる人」というやや堅苦しい言葉を、「子ども時代のコンプレックスを晴らして世の中を見返すために」と言い換えているのがなかなか興味深い。
これは先ほどの古株が深読みした、「ケンヂという幼なじみへのライバル心」「子供時代のトラウマを引きずった復讐」と、その結果の「世界を終わりにします」という発言の背景そのものと言ってよかろう。ハロルド・ラスウェルもこんなブログで引用されるとは思いもよらなかったろうが、なかなかどうして立派な見解である。フクベエもカツマタ君も、政治的タイプだろう。そして離脱した山根とサダキヨには、あそこまで徹底するほどの個人的な動機が無かった。
言わずもがなの説明を少々。トラウマというのは心的外傷のことで、外傷というのは外的要因(災害とか事故とか他者とか)による傷のことです。先ほどの引用文中にフロイトの名が出てきたように、フロイトが精神病の要因のひとつとしてトラウマを強調したというのが私の理解です。近ごろ乱雑に使われ過ぎていると何時だったか書いたPTSDの「T」がトラウマで、いつまでたっても傷ついたときと同じ恐怖や痛みを感じてしまうといわれる病気である。
これから出てくるケンヂとカツマタ君をめぐるバッヂ騒動は、もう40年以上も前のことである。これを受けての展開を「子供時代のトラウマを引きずった」ものと解釈すべきものかどうか。少なくとも、ケンヂ一人にライバル心なり復讐心なりを持つのは不合理であろうし、復讐したいからといって関係のない人を巻き込まないでくれ。だが他人も本当に巻き込みたかったのかどうか、実は私もいまだに分からないでいる。
(この稿おわり)
初夏に咲く花の代表者の一つ、ドクダミ。
名前がちょっと気の毒だが、花は可憐である。
(2013年6月2日撮影)
長い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで 夢は詰まり...
「少年時代」 井上陽水
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