おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

粛々と進む計画 (20世紀少年 第398回)

 第14巻第1話は「追悼式」という題名で、その前半は万丈目と高須の会話、後半は万丈目の醜態が描かれている。万丈目は最早、晩年を迎えていると言ってよかろう。追悼式の会場は、例の国会議事堂を乗っ取って建てられた気色の悪い建物である。名前は第15巻の最後のほうに出てくるのだが、「ともだち記念堂」と呼ぶらしい。

 その記念堂の上層階から、万丈目と高須が弔問客の列を見下ろしている。何十万人も来ているらしい。そして、同じようなことがロンドン、パリ、ニューヨークでも起きている。「おのずと世界規模の盛大なセレモニーになる」という”ともだち”の遺した言葉通りだと万丈目が呟いている。彼の言うとおり計画は粛々と進んでいるようにみえる。


 ウィルスの被害は拡大する一方で打つ手はなし、人々は今、”ともだち”に祈るしかなくなっているという万丈目の発言が興味深い。これまで、”ともだち”は救世の英雄とみなされていたらしいが、彼を神なり尊者なりとする宗教は無かったというのが私の理解である。しかし、死んだ他人に現世利益を頼み込むというのは、宗教以外の何物でもなかろう。ましてや、復活してみせたら万全だ。前例もある。

 のちに高須はパウロのごとく、それに絡め取られて信者と化してしまうわけだが、この時点では「よげん」について極めて冷静であり、「2015年のこのときに、彼は自分が死んでいることを予言できなかった」と突き放している。そして万丈目に、「あなたが預言者になればいい」と言う。しかし万丈目、反応なし。


 すぐあとにその証拠が出てくるが、ここでの万丈目は平然としてみえるものの、むしろ茫然としているのだろう。高須の挑発に乗る元気もないようで、聖母はどうしたと話をそらしている。高須情報によれば、聖母キリコはスイスの工場に姿を現したところまでは追跡できており、二人は「せいぼのこうりん」も時間の問題だということで意見の一致をみた。

 「そのとき、あなたは世界を掌握する」と高須が言うのだが、これは言うまでもなく、キリコを探し出してワクチンを作らせ、15年前の”ともだち”と同じように人類を全滅の危機から救い出して見せれば、万丈目が第二代の”ともだち”になれるだろうということだ。「じごく」をたずさえてくる可能性もあったはずだが忘れたかな。

 
 その場に、これからも何回か登場する秘書官のような男が報告にきた。行方不明だった津川文化庁長官を、成田空港のそばで捕捉、海外逃亡の直前であったらしい。万丈目は即刻、”絶交”と言っているから、すでにこの時点で友民党の最高権力者として自他ともに認めていたことが分かる。粛清の成果だろうな。

 霞が関も日が暮れて、今日の弔問は終わり。万丈目は霊安室の担当官に断りを入れて、一人、”ともだち”の亡骸と向き合った。本当にこれでいいのか、この筋書きはどうやって終わるんだと死体に訊いている。それから彼は昔を思い出しながら、胸の前で組み合せている”ともだち”の両手に、スプーンを握らせた。

 掌が暖かかったら、さぞや驚いただろうが、まだ冷たかったようだ。すり替わる前だ。「お前が何を考えているか知りたいんだ」と万丈目は泣いている。年取ると涙もろくなるからなあ。


 場面が切り替わって議員会館の一室、スーツにネクタイ姿の万丈目が、またしても違法薬物らしき白い粉でトリップしている。「消えたい、クスリ、もう一回で楽になれる」というのはオーバードーズを手段としての自殺念慮か? それとも、さっさとドラッグに溺れて早いとこ楽になりたいだけか? 

 彼はクスリを取ろうと机の上に腕を伸ばしたが、手に触れたのはホットラインの操作パネルであった。それが起動したことに万丈目は気付く。アクセス先として選んだのは「ともだちランド」の「ヴァーチャル・アトラクション」。指紋照合してヘッドギアを手にした万丈目は、「”ともだち”の頭の中を知る唯一の方法...か」と、カンナと同じようなことを言った。そして、「はい」を「ペコ」と押した。ここで第1話の終わり。


 さあ、ここから先は、ヴァーチャル・アトラクションの世界だ。第14巻の表紙絵には、その仮想空間の中でボウリング場を見上げているヨシツネの顔、正体不明の誰かがアトラクションに侵入してきたのを知って驚くカンナの表情、例のごとく例によってパニック姿のコイズミが描かれている。この巻を最後に、コイズミが主役級の活躍をしなくなってしまうのが、まことに残念。

 ともあれ、第14巻は私の好きな巻の一つ。1971年。前回ああだこうだと書いたものの、少年時代が懐かしいことに変わりはないです。所詮ヴァーチャルだろうが、というご意見については、われわれの記憶だって、過去は目の前に現実として存在しているのではないという意味において、所詮ヴァーチャルであると応えるほかない。そして「ドンキーがその時見たもの」がいよいよ登場する。



(この稿おわり)



第14巻の巻名は「少年と夢」。それは理科の先生になることだった。





がんばれ雑草。(2012年6月24日撮影)