おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

誰でもいいのよ (20世紀少年 第712回)

 かつてフロイト派の心理学者の講演を聴いていたとき、戦争や飢餓のような極限状態である場合を除き、人が本心から殺そうと思う相手は家族だけだという話を聴いた。会場がどよめいたのを今でも覚えている。まさか、みなさんお心当たりがあったのではないでしょうね。幸い私は無い。だが、近親憎悪という言葉があるように、人間関係の近さは両刃の剣なのだろう。

 ともだち歴3年の現在はどうか知らないが、かつての万丈目と高須は、本人たちは何も言っていないが周囲の証言によると高須は万丈目の何番目かの女であり、同じ家にバスローブ姿で暮らしていたのだから、まず間違いなく男女の関係にあったのだろう。高須の出世も万丈目との関係が大きかったに違いない。その万丈目を高須は始末した。


 亡骸はすでに第20集に出てくるのだが、第21集では中谷から前幹事長の葬儀について相談を持ち掛けられて、高須が「万丈目...」とつぶやきながら、その場面を回想している。場所は幹事長の執務室だ。あの急ごしらえのシェルターではない。床や調度が違う。いつまでもシェルターにこもっていては疑われるから、たまには執務室で公務のフリでもしていたか。

 机の上にはペンと、おそらく議員会館にもあったホットラインの操作パネルではないかと思われるディスプレイのようなものがあるだけ。このシーンは、オッチョとユキジが万丈目の死体を高須に見せられた直前だろうか。たぶんそうだろう。あのまま長いこと椅子に置いておくわけにはいかないものな。だとすれば、同じころ”ともだち”とカンナも対峙していた日だ。


 高須はユキジから取り上げた拳銃を万丈目に突き付けている。万丈目はヴァーチャル・アトラクションのヘッドギアを付けている。ただし、耳を覆うはずのヘッドホンが外れている。第14集などを見ると、ボーナス・ステージに入るときはみんなこのヘッドホンを両耳につけている。どうして外したのか、あるいは外れたのか分からない。

 後にケンヂが「お化け」となった万丈目とヴァーチャル・アトラクションの中で出会っている。正しい方法で出たのなら、こうはならないはずだから、おそらく高須に外されて強制終了した結果、バグが発生してヴァーチャル・ケンヂと混線したのだろう。107ページ以降の万丈目は、最近ではめずらしく、目つきが鋭い。例えが不謹慎だが、死刑直前のサダム・フセインもこんな目をしていた。


 ピストルを向けられて、万丈目は「正気か、おまえ」と訊いた。高須の返事は冷たくて、あなたは自分がずっと正気で、自分だけが正しい判断をしてきたと思っているでしょと言い捨てている。万丈目は無言だ。そうでもないことを知っている。彼はシナリオを書いているのは自分だと思い込んでいたのだが、2015年にそうではなかったことに万博会場で気付いているのだ。さらに、今の”ともだち”の正体についても、とんでもない勘違いをしていたのだ。

 次のページが面白い。「今いる”ともだち”は、あの”ともだち”ではないんだぞ」という万丈目の発言と、それを聞いて平然としている高須の様子からして、高須も今の”ともだち”がフクベエではないことを承知しており、それを万丈目も知っているということだ。万丈目はその知らない誰かが、本気で人類を滅亡させようとしていることを知り、クーデターと暗殺計画を立てた。


 その計画は発覚してしまったのだが、この時点の万丈目は知らないはずである。知っていれば、のんきにヴァーチャル・アトラクションで思い出にふけって現実逃避などしている場合ではない。最初の「正気か、おまえ」という表現からすると、反乱の計画は高須にも話したのかもしれない。だが「あの”ともだち”ではないんだぞ」に対する高須の返事は意外にも「いいえ、”ともだち”よ」であった。

 万丈目はもう一度、おまえが追い求めていた”ともだち”はもうこの世にいないと説得するのだが、高須は「いるわよ、”ともだち”は」と繰り替えのみ。そのあとがすごい。「誰でもいいのよ」と高須は言い放った。「今そこにいるのが”ともだち”」と第6話のタイトルになった言葉も吐いた。要するに、フクベエと同じような格好をして、同じように振る舞うなら、誰でも構わんということだ。さすがの万丈目もここで絶句。長くなったので続きは次回にて。



(この稿おわり)




我が家の食用パセリ栽培中 (2013年5月4日撮影)

































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