おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ブログ元年  (20世紀少年 第397回)

 第14巻に入る前に一休み。私の頼りない記憶によると、かつて1997年は「ブログ元年」と呼ばれていたという覚えがある。ちょうど設定上、「20世紀少年」が始まる年でもあるから、読み始めたときにも、それを思い出した。ところが、「ブログ元年」をネットで検索しても出てこない。私の捜し方が悪いのか、それとも勘違いで、そんな言葉などなかったのか?

 逆に、聞き覚えのない「ネット元年」というのなら、幾つか出てきました。1995年らしい。マイクロソフト社がWindowsの95を発表した年で、急速にネット利用者が増えたそうだ。私は転勤族だったので、どこで誰と話をしたかにより、その話題の年代測定ができるのだが、確かにインターネットは95年あたりから、本格的にわれわれの生活に入ってきた。


 若い世代にはどうでもよい事柄だろうけれども、ネット上の情報は1990年代後半以降に入力されたものが、ほぼ全てである。特に、時事に関するリアルタイムの情報は(ニュースも、個人の書き込みも)、それ以降に限定されている。したがって、東日本大震災の同時期の記事は無数にあるが、阪神・淡路大震災のそれは少なく、もちろん関東大震災関連は皆無である。

 こんな調子だから、私が三十代半ばくらいまでの時代の出来事や流行などを題材にしたネット情報は実に少なく、あるとすれば、何年も何十年もあとから、誰かが思い出して書き入れたものとか、何等かの意図で当時の記録を引用したものばかりだ。

 つまり記録された時点でさえ、すでに新鮮ではないのです。ネット情報は人類の文明が滅びるまで全て残るのかもしれないが、ネット元年以前についての生の詳しい情報は、取りあえず紙資料をお探しくださいということになるのだろうか。第二次・有史以前とでも呼ぼうかな。


 近年は昭和時代が売り物になっている。先週も昭和を舞台にした小説を発表した作家が、「今は昭和が売れ筋だし」と雑誌のインタビューか何かで語っていた。映画もドラマもそうだが、特に昭和三十年代や1960年代が人気の様子である。そのころ若かった世代が退職金と年金を受け取って暇を持て余し始めたので、マーケティング・ターゲットになっているのだろう。

 マジョリティを狙った商品である以上、小説にしろ映画にしろドラマにしろ、どうしても「あの頃は良かった」という趣旨のものが多くなる。いきおい、美化が伴う。良い所は誇張されて、悪い所は伏せられる。それが娯楽の世界だけで留まっているならば別に問題ないが、新聞やテレビをみていると、本気で昔のほうが良かったと思っているらしい人たちが、本当にそういうことを公然と語っている。


 いわく、昔は人情が豊かだったとか、隣近所と助け合って暮らしていたとか。そのあとで実際に付け加えるか否かを問わず、「それに比べて今は」という論調である。余計なお世話だと私は思う。人情や相互扶助があったのは嘘ではないが、それと引き換えに、義理があり、世間の目があり、狭くて貧しい社会は決して暮らしやすいばかりではなかったはずなのに。

 私の祖父母や両親の世代は、戦争や、戦後の貧乏生活を生き抜いてきたので、子供のころから「昔は大変だった。それに比べて、あんた達は恵まれているのに」と言われ続けて幾星霜、それもそれで鬱陶しかったのだけれど、今は逆の言い方が氾濫しているのだから、これを散々、聞かされている若い世代はどう感じているのだろう? 私が若かったら、今の若者より性格が悪いので、たぶん「昔より悪くなったのは、あんたたちの責任だろう」と言うと思うな。


 物語は第14巻以降、ヴァーチャル・アトラクションや回想シーンに加えて、ともだち歴が始まってから都内に再現されたという60年代風の街並みも登場する。私としては懐かしがってばかりいないで、当時の日本がどれほど不便で不潔で、どれほど暴力や偏見や格差にあふれていたか、これまで以上に意地になって書き残していくつもりである。

 それが何時か何処かで誰かのお役に立つとは思えない。ただ単に、三丁目の夕日が、当時の実態のごく一部だけを取り出して自己満足に浸っているにすぎないことを言い残しておかないと気が済まないだけです。

 我が墓碑銘は「錯乱」たるべしとキング・クリムゾンは歌ったが、私の場合は「偏屈」なんだ。それに、たかが田舎の一少年が見聞きして覚えていることに過ぎないのも自覚している。それでも5万年くらいたてば、ネアンデルタール人の絵くらいの希少価値は生ずるかもしれないもんね。


 高度成長期は、日本人が日本の自然を破壊した時代でもある。人類の進歩と調和は、特に、身近な自然を徹底的に壊した。トキが絶滅して、水俣湾で魚が捕れなくなった。第14巻に出てくるように原っぱが潰されて、ボウリング場が建った。ケンヂが吸っていた夏の匂いがする空気を、カンナは呼吸したことがないと言っている。

 今日もまた乱暴な論調になってしまったが、最後にちゃんと書いておかなくては。今の日本の政治経済社会は確かに問題山積だが、ちまた言われるほど悪くないし、お先真っ暗でもないと信じている。

 まだまだしばらくは、不況や少子化で苦労が続くだろうが、いま「昔は良かった」と言っている我ら中高年がごっそり減るのも、そんなに遠い先のことではない。古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろうと拓郎は歌った。私の周囲にも優秀な若い水夫が大勢いる。



(この稿おわり)




5丁目の夕日(2012年6月20日撮影)





 夕焼けの空を 君は見てるか
 小さなまぶたに 涙をためて
 一人ぼっちじゃないんだ
 まだ 知らないだけなんだ
 胸を割り 心開いて
 語り合い 信じ合う友は きっと
 どこかで どこかで 待っている...


   坂本九さんに捧ぐ