おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

やっぱり頼りになる (20世紀少年 第399回)

 第14巻の第2話は「本当の1971年」。私は小学校5年生だったのだが、ヨシツネと同様、この年の夏休みに何をしていたのか、全く思い出せない。小学校のキャンプに参加したのは確かだが、私生活では何をしていたのやら。安全ならば、ヴァーチャル・アトラクション(VA)に入って確かめてみたいが、でも私は居ないか...。

 安全ではないことを知っているコイズミは、ともだちランドに向かうヨシツネ隊の車の中で、顔をひきつらせている。彼女が前回、半死半生で生還したとき、ヨシツネは「すべて忘れろ」と言ったはずなのに、またしても中に入れときたもんだ。他方、カンナは初めて見るランドに目を見張っている。サーチライトが何本か夜空を照らしている。


 彼らは野原の四角い穴から地面の下に潜ろうとしている。VAは地下にあるのだ。巨大なコンピュータ・システムを地面の下に隠しているらしい。コイズミは行きたくないと駄々をこねているうちに、一人とり残こされてしまった。生きて帰れないかもしれないんだよと遠藤カンナを翻意させようとするのだが、だからあなたが必要なのと切り返されてしまう。

 気の毒に、彼女はこの日、井川さんたちの悲劇を目撃し、森園と戦って、相当疲れているはずなのに、誰も味方してくれない。あんた達だけで勝手に行けばいいと叫んでいるのだが、つい、カンナにヘッドギアの装着方法を教えてしまい、やっぱり頼りにされてしまうコイズミであった。


 隊員の一人、「エンジニアの彼」がシステムを起動した。操作方法は「だいたい」分かるらしい。これが心電図、これが脳波と確認中。バイオ・フィードバックの機能があるんだな。注射器を手にしたヨシツネに「入る前にこのクスリを打ったろう?」と訊かれたコイズミは、もう協力するものかという感じで背中を向けているのだが、嘘が言えない人なので全身で「はい」と語っている。

 このクスリは、この巻が最初で最後の登場であり、注射器の中身は不明である。生体に異常な負荷がかかることは、すでに判明しているので、それに対処するものか?後ほどカンナは自分でちゃんと打っているが、万丈目はそんな余裕はなかったように見える。


 さて。例えば戦場で最前線に兵士を送るとき、誰に行かせ、誰は行かせず留め置くかを決めないといけないこともあるだろう。その判断基準は、まず当然ながら勝つために行くべき者を行かせ、適していないものは行かせない。ヨシツネが使った方法もこれで、彼自身は勝手知ったる自分の少年時代、コイズミは貴重な経験者。

 これに対しカンナは「私情」があり、冷静でいられないだろうという消極的な理由と、いざというときに彼女の「不思議な勘」により、終了ボタンを押すかどうかの最終的な判断を下す「命綱」を握る役を務めてほしいという、たっての願いであった。隊長は去年、強制終了するか否かで、散々、煩悶したからなあ。結果的に若者を2人、死なせてしまったし。


 本来、カンナは行きたいし、コイズミは入りたくなのだが、その逆を命じたので当然、一騒動起きた。だが、ヨシツネの言っていることは正しいと受け止められたのだろう。決死隊は彼とコイズミ、カンナは留守番になった。ところで、先ほどの判断基準だが、もう一つ、誰を死なせてはならないかという視点からの検討もときには必要だろう。

 例えば血の大みそかのとき、オッチョやケンヂはユキジに残れと言って怒らせた。ケンヂはオッチョさえ置いてきぼりにした。ともだち暦3年ではユキジとオッチョに、ヨシツネは残れと言われている。個々の戦闘で全員が死ぬかもしれない作戦を採用し続けるのは、長期の戦争においては戦略上、得策ではない。末期の帝国陸海軍のように消耗するだけだ。


 カンナは今も昔も「最後の希望」であり、これからもそうである。ヨシツネは、コイズミの手前、明言できなかったが、カンナは残したかったのだと私は思うな。ところがこの元気すぎる娘は、そういう配慮を感謝するよりも行動が優先するのであり、実際、言いつけを守らなかった。

 なお、ここでのやり取りの中で、”ともだち”がカンナの父親であることを、コイズミが知らないことが分かる。この恐るべきプライバシーは、最小限のメンバー内で厳秘されていたのだ。”ともだち”の正体が割れたとき、カンナが苦境に立たされるのを避けるための措置である。ただし、のちに国連軍に漏れた。

 哀れコイズミは、強引に注射も打たれて、悪夢のボーナス・ステージに再び立った。ヨシツネと二人して寒がっている。まだ冬で、暖房のない地下だ。ところが、飛ばされた先は「いきなり夏〜」という季節であった。



(この稿おわり)

 


ききょう(2012年6月24日撮影)





ゆり(同上)