おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

インディアナポリス  (第1316回)

 映画「ジョーズ」の一場面に、サメ漁が専門の漁師ロバート・ショウの船長と、鮫の生態研究者であるリチャード・ドレイファス海洋学者が、夜を迎えた船の中で、お互いが鮫に噛まれた傷跡を見せあうシーンがある。それまで反目し合っていた二人が、これを機に打ち解ける。

 その様子を穏やかに眺めていた警察署長のロイ・シャイダーが、船長の左腕に傷跡を見つけ、それも鮫かと尋ねている。船長は「刺青の跡だ」と応え、海洋学者は何て彫ってあったのだ、「マザー」(おかあちゃん)かと冷やかした。だが、船長の「インディアナポリス」という返事を聴いて顔色を変えている。


 インディアナポリスは、アメリカの地方都市の名であると共に、実在した米国海軍の巡洋艦でもある。今なお同海軍史上で最多の死者を出した船の名として同国の戦史に残る。リチャード・ドレイファスも、それを知っていたから沈黙したのだ。

 ロバート・ショウはその乗り組みであった。そして日本軍の魚雷に沈められ、海上に放り出された将兵の生き残りだったのだ。彼らは数日間、救助を待ちつつ海上に浮かんでいた。そして戦友の中には、鮫に襲われて死んでいった者もいたという。船長はこのため刺青を削り落し、鮫を狩るハンターとなったのだ。

 救助が遅くなった理由は、ロバート・ショウが明言している。このときのインディアナポリスは、極秘の任務で諸作戦に参加中であった。極秘とは、船長いわく「Hiroshima Bomb」を運ぶという任務だった。他の軍艦も空軍も知らされていなかったのだろう。


 その一年前にさかのぼる。1944年の6月から7月にかけて、インディアナポリスは、アメリカ軍による北マリアナ諸島の攻撃戦に参加している。最初にサイパン島が落ち、次にテニアン島を占領した。そのあとがグアム島である。

 このとき、テニアン島には私の伯父がいた。陸軍の歩兵伍長だった。政府等の諸資料によると、伯父は1944年の9月30日に戦死と記録されている。諸資料とは、地元のお役所にコピーをいただいたもので、戸籍、軍の名簿、恩給の支給関係のものなど数点あり、戦死日は全てこの日付になっている。だが、テニアンは上記のとおり、7月にはほぼ米国のものとなった(正確には、8月3日に戦闘終結)。

 このことは、奇跡的にテニアンから生還したお方の本にも載っている。だが、戸籍によると、「司令官の報告」が根拠となって、9月30日が死亡日になった。この9月30日には、大本営発表があり、「テニヤン島」の日本軍は「全員壮絶なる戦死を遂げた」と認めると公表された。実家の墓も、没年月日はこの日である。戸籍によると、出征の少し前に結婚している。


 名前が残っていないが司令官の報告とは、具体的な伯父の戦死報告というよりも、生存者の中にいないという知らせだったのだと思う。最後のころは各部隊も散り散りだったという証言が複数あるし、上記の諸資料にも、家族の記憶でも、テニアンで死んだという一片の事実しか残っていない。遺骨も遺品も皆無である。

 つまり、伯父が何月何日のどこで、どのように死んだのか、全く手がかりが無い。時間とお金ができ次第、私はテニアンに行くつもりだが、もう伯父の最期の詳細は分からないと思っている。もしも早々に戦死したのでなければ、インディアナポリスを見ていたかもしれない。伯父の戦死で、実家の跡継ぎが私の実父になった。こういう経緯で私は生まれて来たということだ。


 翌年3月、インディアナポリス沖縄戦に参加するが、日本軍の戦闘機に爆撃され、戦闘不能となって一旦、サンフランシスコそばの海軍施設に戻り、修理が行われた。現場復帰は同年7月半ばのことで、このとき船長が言っていたように、爆弾の部品とウラニウムをこっそり運んだのだ。マリアナ諸島テニアン島に。

 テニアンは隣のサイパンと異なり、平らな島だそうで、大きな飛行場、滑走路を作るのに適していたらしい。実際、ここがB29爆撃機の発着場となり、東京大空襲や私の両親の実家を全焼させた静岡の空襲などの攻撃拠点になった。島ごと空母になったようなものだ。


 そして8月6日、インディアナポリスが運んできた原材料は原子爆弾となって、テニアン島を離陸したB29、通称「エノラ・ゲイ」に搭載され、朝の広島を焼いた。伯父が死んだ島は、民間人の無差別大量殺人という最悪の戦争犯罪に使われた。

 巡洋艦インディアナポリスは、あと半月で終戦という時点、広島と長崎の悲劇より少し前、この原稿を書いている7月30日に、グアムからレイテに向かう途中、日本軍の魚雷攻撃を受けて沈没した。おそらく帝国海軍の戦果としても最終的なものの一つだろう。レイテ戦も凄惨を極め、終戦まで続いた。今年も鎮魂の八月が来た。





(おわり)




足湯  (2016年6月3日撮影)