おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

シン・レッド・ライン  (第1139回)

 前回に続き、映画の感想文です。この原作の本は、まだ読んでいない。読めばわかるかもしれないが、タイトルの意味が分からない。レッド・ラインをネットで調べたら、浜崎あゆみさんの楽曲が出てきた。英和辞典では、越えてはならない一線。芸能人や政治家の、何とか疑惑みたい。

 軍事用語としての「thin red line」には、敵に越えさせてはならない境界線のような意味があるという説明もある。太平洋戦争でいうと「絶対国防圏」のようなものだが、これ程あっさり越えられた一線も珍しかろう。うちの伯父さんは、そこで戦死した。


 英語版のウィキペディアによると、原作に「they discover the thin red line that divides the sane from the mad... and the living from the dead...」という一節があるらしい。正気と狂気を分けるもの、そして生と死を分けるもの。映像で印象的なのは、担架から流れ出て清流に薄められながら消えてゆく戦友の血。

 主人公たちの部隊を指揮した陸軍大佐役のニック・ノルティは、本作品についての取材に応えて、原作者のジェイムズ・ジョウンズが戦後、「愛というものを感じることができなくなった」と書いていると語った。原作者は、ガダルカナルからの帰還兵。


 ガダルカナル島の戦いは、私の生まれ故郷の静岡の連隊(歩兵第230連隊)が送られて、大半は白い布でくるまれた箱になって帰ってきた戦場だ。周知のとおりガダルカナルでは、半数から四分の三くらいの死者が純戦死(戦死・戦病死)ではなく、餓死またはマラリアなどによる病死という文字どおりこの世の地獄になった。

 うちの祖父母や両親の親戚やご近所も、きっと何人か何十人か、ここで死んでいる。そういう個人的な事情があるので、映画の観方も人とは違うと思う。いつもは自分の感想を乱されるのが嫌なので、他の方がネットに書き込んでいるコメントは読まないのだが、本作は異色の出来具合だから、みなさんのご意見も拝読した。


 違和感だらけだ。映像美を称賛するものが多い。確かに、島の景色や動植物の姿、原住民の特に子供たちの暮らしぶりは美しい。でも、戦争映画です。それらを平気で壊した数か月にわたる消耗戦。兵士も壊れ、地元の人たちに受け入れてもらえなくなる。

 「エンタメとしては今一つ」、「カタルシスがない」というのも目立つ。私も戦争映画や西部劇が好きだから、けしからんとまでは言わない。でも上記の私的な事情があるし、ガダルカナル戦の本は十冊ほど持っているのだが、関ヶ原やノルマンディー大作戦とは訳が違う。どういう戦場だったか、考えていただきたい。


 通常の戦争映画と異なり、この作品には場所と年月日を表す字幕や、明確なセリフもない。冒頭でジョン・トラボルタ提督が、「なんでジャップはこんな”岩”の飛行場を欲しがるんだ」と叫んでいるシーンに出てくる地図に、英語の大文字でガダルカナルと書いてある。

 それと、もう一つ、ニック・ノルティのセリフに「ガダル」という略称が出てくるくらいしか気が付かなかった。ちなみに、当時の日本軍も「ダガル」とか「ガ島」とか呼んでいる。長いからねえ。


 時期については更に不明確だ。日本軍が海兵隊から飛行場を奪回せんとした前半戦ではない。終盤に高地に立てこもった日本軍を、米陸軍が包囲殲滅しようとした時期にあたる。

 ジョージ・クルーニーのセリフに、この戦争はクリスマスを越えるぞというのがあるので、11月か12月の前半あたりだろう。12月7日の米軍の銃砲撃は、特にすさまじかったと帰還兵がお書きになっている。真珠湾攻撃から一年。


 1942年のクリスマス・シーズンは、大島渚戦場のメリークリスマス」の時期設定と全く同じ。前回話題にした爆撃機B-17が猛威を振るった南洋の戦場だ。”岩”と呼ばれたガダルカナル島は、残念ながら行ったことがないが、当時はイギリスの植民地、今はソロモン諸島という名の国にある。


 映画の舞台に相当するガダルカナルの戦地は、アウステン山方面の戦闘。ガダルカナル島は熱帯にあるので、低地は密林に覆われているが、この島には2千メートル級の山が複数あり、高いところでは映画に出てくるように、当時の写真でみても疎林と草原だ。

 日本兵は一部を除き、疲れて痩せた姿で描かれているが、実際はこんなものではない。まだしも、お客に見せられる程度に、穏やかな脚色がなされている。心身の調子を崩したくない方は、次の段落を読み飛ばしてください。生還者の談話です。

 この時期になると日本軍は糧食が尽き、映画の現場になった戦地は、死にゆく人と餓死者と白骨が並び、足の踏み場もないほどだった。まだ息のある者の顔をハエが喰いつくし、卵を産み付ける。生まれたウジが人を喰う。そのウジをトカゲが喰い、そのトカゲを人が喰う。


 そういう戦場に映像美も何もない。アメリカの将兵は占領後に、信じ難い日本兵の姿を見たのだ。原作者もその一人として、製作側もそれを前提に、この作品をつくっている。全体に漂う虚無感や喪失感にあふれた独白は、哲学的とか情緒的とかいうたぐいのものではない。地名や年月が強調されていないのは、戦争の勝ち負けや勇ましさを扱った映画ではないからだ。

 先述のジョン・トラボルタジョージ・クルーニーは、見事に周囲から浮いている。近くにいるニック・ノルティショーン・ペンは聞いている振りだけで、内心は全く別のことを考えている。上官が周囲から浮いているというより、周囲が絶望的に怯え、沈んでいるのだ。


 ショーン・ペンの名は、この映画の前から、マドンナの旦那として知っていた。私と同い年であり、あの顔でサンタモニカの生まれで、私がロサンゼルスで働いていた頃もマドンナとその辺りで暮らしていた。当代きっての名優です。

 ベン・チャプリンは、ニコール・キッドマンと共演した「バースデー・ガール」で観て以来。あの時も今回も、女運が悪い。エイドリアン・ブロディは、この作品の数年後に戦場でピアニストになった。優しいお顔だが、だからこそ戦争映画などの特殊な役にお声がかかるのだろうか。「きさまも死ぬんだよ」と言っていたのは、映画「20世紀少年」のヤマさん。


 ロケ地はオーストラリアのクイーンズランド州グレートバリアリーフで名高い。むかしブリスベーンに行ったことがある。海の向うに、ガダルカナルがある。それにこの1942年ごろの時期は、日本軍がオーストラリアに空襲を続けていた段階でもある。

 
 アウステン山の戦闘の前から、日本軍の中枢は、すでにガダルカナルからの撤退を検討していた。正式にそれが決まったのは大晦日の御前会議で、撤退作戦は、その後の月のない夜まで待つことになった。毎日、数十人という単位で餓死者が出ているのに。お正月までに還してあげたかったよ。

 
 この作品は1998年に公開された映画。私は映画館もないカンボジアに駐在していて、ロードショーは見逃している。この年、黒澤明淀川長治が亡くなり、映画ファンには悪夢のような年だった。アメリカがアフガニスタン空爆して、三年後の悲劇を招くことになった年でもある。

 本作でたいへん印象的なのは、現地のメラネシアの人たちの歌だ。私はあれと似たような歌を、ツバルの幾つかの島々で何度か聴いた。子供たちの合唱、女たちが連れだって歩きながらきかせる輪唱、男たちがドラム缶をドラム替わりに使って歌う踊りの唄。録音の機材など持たずに行ったおかげで、今も耳を離れない。





(おわり)







伯父の戦死地テニアンにて (2017年1月12日撮影)
























 A very Merry Xmas,
 and a happy New Year.
 Let's hope it’s a good one
 without any fear.

   ”Happy Xmas (War Is Over)”   
     John & Yoko/Plastic Ono Band



















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