おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

今日がその日 (20世紀少年 第730回)

 第21集の第11話は、廊下を歩く少年の「また、同じような一日だ...」という独白から始まっている。誰でも大抵そんなもんだと思うが、どうやら彼にはそれが辛いらしい。英語ではポリスの「King of Pain」の歌詞に、「The same old things as yesterday」という表現がある。いずれも心に痛みがあるようだ。

 ”ともだち”のベッドはクイーン・サイズぐらいのダブルに見えるし枕も二つあるが、どうやら一人暮らしをしている様子である。それでも起きたら朝一番にマスクをするのか。花粉症かハウス・ダストのアレルギーでもあるのだろうか。目玉覆面にパジャマという姿で彼は寝室から居間に移動し、丸テーブルに置きっぱなしの「しんよげんの書」を手にとった。毎日読んでは悦に入っているのだろうか。

 
 スケッチブックを開くと、「そしてせかいだいとうりょうがたんじょうするだろう」という下手な字の(字までケンヂを真似たか)予言があり、その次のページに書いた彼の火星移住計画発表はボツになったが、「最後のページ...」と言っているところを見ると、フクベエは破り捨てずに放置したらしい。そして”ともだち”は「今日がその日だ」と言った。

 「その日」が何をする日なのか、それはこれから出てくるので待つとして、なぜ今日がその日なのだ? 日付は分からない。ともだち歴は季節すら分からない。ケロヨンや青年たちは半そでだが、カンナやコイズミは冬服を着ている。行き当たりばったりに「その日」を選んだという解釈はあまり魅力がない。カンナに言わせると、なぜか”ともだち”は今度ばかりは計画的なのよ。万丈目は「面倒くさくなっただけだろう」と言ったが疑わしい。


 ここで最後にもう一度、”ともだち”の「計画」をおさらいするのも悪くない。残念ながら読者は「しんよげんの書」の内容を全部知らされているかどうかも分からないので、情報の断片をつなぎ合わせるほかない。この執筆当時のフクベエと山根の計画では、世界大統領は無敵になるのだと第21集に出てきた。言葉通りに受け止めれば、人類滅亡を実現するためには彼らも死ぬ必要があるので、どうやらこの時点では人類滅亡計画はなかった。

 第18集の186ページによれば、フクベエはテレビに出ると自慢しておきながら新聞で少年Aになってしまい、「例の計画」を実行すると言っているが万丈目は何のことが知らないから、「例の」というのはフクベエが万丈目以外の誰かと共有している計画なのだろう。そして彼は万丈目に対して例の計画とは、「僕をいじめた奴」その他に「復讐」することだと言った。この歳でルサンチマンの塊である。


 万丈目は呆れて立ち去った。嘘つきフクベエの「僕はウソつかないよ」という宣言は悲痛というべきか笑止というべきか。だれもいなくなった倉庫の前でフクベエは例の計画の内容をこう表現している。「世界征服と人類滅亡計画」。このときは自業自得かもしれないが彼は心底、傷ついているようであり、こんな世の中は必要なくなったので「人類滅亡」も計画に加えたのか。

 1980年に万丈目の前に現れたハットリも、「例の計画」と言う言葉を使っているが、このときは「奇跡はもっとエンターテイメントでなくちゃ」という誘い文句だけで、人類滅亡がどうのこうのとは言っていない。次は1997年だ。忙しいな。武道館の”ともだち”は、「まもなく世界は終わりのときを迎えようとしています。でも、私と共にある皆さん、皆さんは必ず救われます」と如何にもカルト教団の教祖らしくステージで大演説をしている。人類は全滅まではしないらしい。


 別の表現が第2集の95ページに出てくる。「宇宙は私に夢を実現するように言っているんだ」そうで、その夢とは何かと訊かれて”ともだち”は素顔のままでニヤリと笑い、「世界征服だよ。」とようやく分かりやすい言葉で本音を述べている。このころ彼は結婚して子供も生まれており、第20集では人類が滅亡してもカンナは守ると頼もしいパパぶり。このころの彼は人類を全滅させる気はないようだ。

 ところが第19集、復活後の”ともだち”は「フクベエなら、すでに実行に移しているはずなんだ。人類滅亡計画。」と言って万丈目を驚かせている。「これが最後の最後」であり「これで完成」であるそうなのだが、上記のフクベエの言動と齟齬があるように思う。これはカツマタ君の勝手な言い分に過ぎないのだろう。そして人類滅亡計画については、どうやら本気のようなのだ。フクベエのマネのフリか。

 
 今日が「その日」に選ばれたのが当日の朝一だった。このタイミングに理由があるのならば前日までに準備が整ったということだろう。火星移住計画はすでに発表したから、「しんよげんの書」上の順番はもう到来している。あとは事務手続きか。ウィルスは完成した。円盤も大丈夫。となると私が思い付くのはあと一つ、きっと前の日にリモコンが手に入る手筈が整ったのだ。そうに決まった。

 時々この平和な日本にも「誰でもよかった」とぬかす人殺しが現れる。誰でもよいなら自分を選びなと思ってしまうのは私だけではないだろう。関係ない人を巻き添えにしないでくれというケンヂの訴えは、まず間違いなくその5年前に起きたサリン事件の影響を受けている。中学時代、”ともだち”となる男はまだ迷っていたのだが、今や確信犯となって凶器を手にしているのだ。

 最低限の礼儀として、嫌な話題で終わらないというのが小欄のルールです。前回、お面を話題にした。ともだちコンサートのステージで、ケンヂは何ふざけたお面なんかかぶってんだ、このヤローと怒鳴っているのだが、忍者ハットリ君のお面をバカにしているのではない。20世紀が終わる直前の第8集で彼はこう言っている。「そのお面もその塔も俺達の子供の頃の思い出だ。おまえみたいなクズに、そんなふうに使われたくない」。


(この稿おわり)




初夏の空(2013年5月19日撮影)




































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