おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

思念は語る (20世紀少年 第821回)

 
 ちょっと話が前後する。上巻の134ページ目で万丈目が「流行りそうなものは、片っぱしから手え出した」と例示しているものの中に「覆面レスラー」が入っている。覆面レスラーについては、かつてザ・デストロイヤーを話題にした覚えがあるが、ここでの絵の覆面はそのデザインからしミル・マスカラス的である。

 彼のレスリング・スタイルは、優れた運動選手と呼ぶに相応しいスピード感あふれるものであった。空飛ぶプロレスラーである。子供向け雑誌にも、千の顔を持つ男として紹介されていたものだ。覆面レスラーは覆面が素顔らしいので、千の顔を持っていても不思議ではない。もっともマスカラスとは、マスクやマスカラとおそらく語源が同じで仮面の意。ペルソナ男。ミルはミリと同じで単位の千。

 フクベエがかぶっていた忍者ハットリ君のお面や、サダキヨの愛用品ナショナルキッドのお面は、ジジババのような駄菓子屋やお祭りの屋台で普通に売られていたものだが、すり替わったほうの”ともだち”御用達の目玉仮面は、その手の子供用のお面ではなくて覆面レスラーのマネっこではないだろうか。あれがマネのマネである”ともだち”の素顔なのだろうか。


 何年か前に「死体は語る」という監察医の本が売れました。死んでいる万丈目は俺がなりたかったのは何だったんだと嘆いたが、いい年して何を寝ぼけたことをいっているのか。それに完全に手遅れ。私も含め大抵の人は、とにかく学校を出たら働かなくてはならなかったのが20世紀の常識であり、目の前にある仕事をもらって働いているうちに年を取った。それで何が問題なんだ。

 だいたい、彼の言う「流行りそうなもの」とやらも、片っ端から手を出したのにも拘わらず成功しなかったということは、すでに誰かが流行らせて既得権益を独占していたか、あるいは流行らなかったかのいずれかで、どっちにしろ目の付け所が悪かったのだな。そんなときに児童Aの為れの果てがやってきたというわけだ。これが流行ってしまった。

 
 ともかく万丈目は席でひと騒ぎして落ち着いたのか、ようやくケンヂに向かって「で、おまえはここに何しに来たんだ」と問うた。自分を殺しに来る必要がないことが分かったので、改めて質問したのである。ケンヂは「俺か...」と間をおいてから、直接質問には答えず「”反陽子ばくだん”って知ってるか?」といきなり用件に入った。先ほど子供の自分にも訊いた最優先の調査事項である。

 さあ、ここから先の万丈目の表情や言葉遣いが嘘か真か見分け辛い。この男が本当のことを言っているのかどうか、何度読んでも良く分からない。きっと作者は丁寧に描き分けているのではないかと思うのだが、私の鑑賞力不足である。


 ケンヂの反陽子爆弾に関する質問に対し、万丈目はしばし黙ってケンヂの顔を眺めている様子である。そのあとで「NASAのグッズにはねえな。」と余り切れ味の良くない返答をしている。普通に読めば「俺の知ったことか」という意味なのだろうか。万丈目が”ともだち”の最後の計画を知っていたかどうか分からない。「しんよげんの書」の最終ページに書いてあったはずだが...。でも反陽子爆弾が炸裂したらシェルターも無意味である。やはりあのシェルターはウィルス対策だろう。

 ケンヂも無駄と思ったか、すぐに爆弾の調査活動は諦めたようで、質問の矛先を変えている。「あんたがスプーンを曲げさせていたのはフクベエか?」と宇宙のカレーを食べながら訊いている。ケンヂは”ともだち”の正体をさぐり始めたのだ。前回、「ガキ共そそのかして」と万丈目が言っていたのを、私はテレビ番組の超能力少年の件だろうと推測したのは、ケンヂのこの質問の仕方からして彼も同意見だろうと感じたからです。


 テキヤ時代の万丈目が本格的に”ともだち”と関与し始めたのはフクベエが彼の事務所を訪れた1980年のことだが、すでに二十歳になっているフクベエたちをガキ共と呼ぶのは年齢的にふさわしくない。万丈目からすれば相変わらずガキ共かもしれないが...。ともあれ、万丈目はケンヂの問いにまともに答えようとしている。

 ただし、彼はフクベエというアダ名にそれほど関心がなかったようで、一瞬「え?」とためらってから(どうやらケンヂの質問が次々と唐突なので付いていくのが大変らしい)、「ああ、ハットリだ」と肯定している。ということは「曲げさせていた」のだ。また私はスプーン曲げで悩まなくてはいけないのか。嫌なので先に進む。やはり最初の”ともだち”は児童Aことフクベエで間違いなかった。


 他には誰か?とケンヂは更に問う。もう一人の”ともだち”探しにテーマが移ったのだ。万丈目は「ハットリの取り巻き」という表現でヤマネのことを思い出している。「それだけか」と正義の味方は唇にご飯粒をつけたまま訊いた。万丈目によると、あと、いつもお面をかぶっている奴がいたのだそうだ。「サダキヨか」とケンヂが確認する。

 万丈目は「知らねえ。お面かぶってんだからよ。」と珍しくまともに聞こえる答え方をしながら水割りを飲んでいる。これは嘘ではない感じがする。それに知っていたら、フクベエだと信じ込んでいた”ともだち”歴創始者の”ともだち”が別人だと分かったとき、あれは誰なんだと驚愕したりはしなかっただろう。シナリオを書いていたはずの彼は単なる狂言回しだったのだ。


 ケンヂの質問攻めがまた違う方向に進む。2015年に”ともだち”が死んで以降、”ともだち”に「なりすましていた奴」は誰なんだと訊く。酔って頬が赤くなり始めた万丈目と、口いっぱいに不味いカレーライスを頬張ったケンヂが、しばし黙って見つめ合っている。微妙な沈黙のあとで万丈目は目を逸らして「知らねえ」と言った。さあ、これは嘘か真か。愛と誠か。

 なぜこれには即答しなかったのだろう。このとき既に「マネのマネ」のエピソードを思い出していたのかもしれない。この後すぐの会話で口にしているからだ。万丈目はどこの誰かは知らないけれど、取り巻きの一人が「なりすまし」の”ともだち”だったのかもしれないという心当たりがあったのだろうか。ケンヂはカレーを食べ終えて皿を置いた。死者への尋問が核心に迫ろうとしている。



(この稿おわり)




スーパー・ボール (2013年12月30日撮影)








テキヤ殺すにゃ刃物は要らねえ。雨の三日も降りゃあいいってね」
車寅次郎 談 


「正義というものは、けっしてかっこうのいいものではない」
やなせたかし









































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