おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

天気予報 (20世紀少年 第731回)

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降だる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。


 いつもより少し文章が上手いと感じた方は正しい。日本の文学に親しむ人なら最初から引用だと分かりますね。夏目漱石草枕」の冒頭である。漱石がイギリス留学中にひどいノイローゼになったらしいことは良く知られている。外国に限らず、どうやら彼はどこへ越しても住みにくい思いをしていたような気がする。それが芸術論に直結しているところが面白い。

 「人の世を作ったものは」で始まる段落は、”ともだち”に読んで聞かせたいくらいである。それに次の「ここに詩人という転職が出来て」云々は、まさにともだち歴3年にケンヂが果たした役割そのものではないか。人でなしの国で、人の心を豊かにするがゆえに、とうといのだ。


 閑話休題。第21集の196ページ、ともだちタワーの第1スタジオで、音声技術担当のエンジニアらしき若者二人が無駄話をしている。後輩のほうが今度の新しいお天気お姉さんは数字を取りそうだと意見を述べ、これに対して先輩が噛みまくりだから「だめだめ」と反論している。少し評価が厳しくないかな。お天気お姉さんは、おそらく気象予報士のことと思うが、本来は報道関係者ではなく技術専門職なのだから。

 しかしこの「お天気お姉さん」という表現は良いな。気象予報士よりも血の通った響きがある。ついでに言えば気象情報と天気予報も同じような関係にある。私が知りたいのは気象情報ではなくて天気予報なのだが、中身が同じなのになぜ呼び方を変えたのか。ヤン坊マー坊は天気予報の出身なんだぞ。とかくに人の世は住みにくい。もっとも、昔と比べれば良く「当たる」ようになったものだと思う。

 
 天気予報時代の表現は「晴れときどき曇り、ところによりにわか雨」などと全方位的に予報しておきながら、終日大雨で面目丸つぶれとなる。今は「降水確率」だから、いくらでも逃げようがあります。地震学会も「予知」という言葉を避けて「発生確率」に鞍替えし、地質学会も「死火山」という名称を廃したらしい。謙虚で宜しゅうございます。地球のご機嫌を予言しようなど、おこがましいことなのであろう。

 また余談。古い野球ファンや報道関係者ならよくご存じのエピソード。小学生のころだったか前年もリーグ最下位だった弱小球団のニューヨーク・メッツが、いきなりワールド・シリーズで勝った。メッツの優勝パレードはニューヨーク市民の大歓迎を受けた。翌日のポストだったかタイムズだったか忘れたが、大新聞が一面で報じたもんだ。昨日のマンハッタン、晴ところにより紙ふぶき。


 音声技師の二人が驚いたことに、”ともだち”がただ一人で廊下をカツカツと歩いてきた。硬直した二人のそばを通り過ぎる際、”ともだち”は「放送室、使えるかな」と訊いた。これから”ともだち”はケンヂの真似をし、「放送室」で「20世紀少年」をかけようとしているのだ。この人は独創性に欠けることはなはだしい。

 後輩は「放送室?」とボケているのだが、さすが先輩はスタジオのことだと悟って、さっそく招き入れている。”ともだち”は「これ、かけられるかな」とレコードを示した。後輩は「何ですか、それ?」と率直に訊いている。先輩はちゃんとご存じなのだが、「アナログ・レコード」と言っているところをみると、さすがにアナログしかなかった時代は知らないのだろう。YMOの登場はCDが普及する前なんだぜ。


 ”ともだち”はスタジオ入りして、スタンド・マイクの前に着席した。先輩は、「”よげん”だ」と今度はちょっと早とちり。後輩は動きが鈍く、先輩に早くスタンバイするよう命令されている。音声の技術者から、生放送は大変、緊張すると直接聞いたことがある。英国王のスピーチは確か生だったな。玉音放送は生ではなく収録したため、人死にが出るほどの大騒ぎを引き起こした。

 そのころガッツボウルでは、地下の秘密通路が全部つぶされて地球防衛軍の厳重な監視下にあるという深刻な報告を受けて、カンナたちが東京都民をいかにして万博会場に集めるかという難題に頭を悩ましている。コイズミは万博会場が本当に安全なのかと不安げだが、カンナは”ともだち”にとって神聖な場所なのだと譲らない。本人から直接そう聞いたのだし、彼が復活した場所でもある。他に方法がない以上、これに賭けるしかなかったのだ。




(この稿おわり)






これはこれで放送室か。開業して一年経ちました。
(2013年5月19日撮影)












































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