おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

取りあえずのフクベエ考    (20世紀少年 第168回)

 前回で触れたとおり、一旦ここで、フクベエとはどういう人物設定なのかを考える。今回は、結果からいうと、問題提起といい結論といい何の役にも立ちません。このブログを先に進めるための整理に過ぎない。私は書きながら考える性質(たち)なので仕方がない。

 物語の後半には、フクベエの小学校時代が描かれているので、彼の性格の詳細はそちらに譲るとして、ここで考えておきたいのは1997年の同級会から2000年の血の大みそかに至るまで、ケンヂたちの前に現れた人物(以下、カッコつきで「フクベエ」という)が、その少年と同一人物かどうかについてである。


 すでに同窓会の場面で触れたとおり、「フクベエ」は自分でフクベエとは名乗っていない。ケンヂが、同席した男をその名で呼んだところ、否定しなかっただけである。実はこの男が、少年時代の同級生だったハットリと同じ人物である証拠は、私が覚えている限り、どこにもない。

 最後まで読み終えた読者は、少年時代のフクベエと似た感じの顔をした男が、第12巻で山根に射殺され、ところが、「21世紀少年」の上巻において、そっくりの顔の男が空飛ぶ円盤の墜落事故に巻き込まれて死亡したのを知っている。第12巻で撃たれたあとで、オッチョが死亡を確認しているから死んだのは間違いない。


 それに、「奇跡的に生き返った」という解釈には無理がある。キリコが、当初の”ともだち”は自分の夫フクベエであること、および、万博で「復活」した”ともだち”が、夫フクベエではないことを断言している。

 また、キリコはカンナの父親がフクベエであることも明言しており、そのカンナは、万博後の”ともだち”が自分の父親でないことを例の超能力で気が付いている。キリコとカンナを信じる限り(私は信じる)、死んだ2人は明らかに別人である。したがって、そっくりな顔の男は二人かそれ以上、存在したということになる。

 いつから存在したのかは分からないが、1997年においてすでに2人以上いたのであれば、1997年の同級会に出てきて、2000年にケンヂたちと行動を共にした「フクベエ」はそのどちらでも有り得る。血の大みそかでは、大変、危ない橋を渡ることになるので、本物の”ともだち”ではない方がスパイになったほうが望ましいだろう。


 ところで、キリコは、マルオに対してフクベエが”ともだち”であり、夫であったと語っているが、キリコが少女のころからマルオやオッチョと知り合いであったことは明らかなので、ケンヂたちと同級生のフクベエことハットリのことを指しているのは間違いない。

 したがって、万博後の”ともだち”がフクベエでない以上、12巻で射殺されたほうがこの同級生フクベエであると考えるのが自然である。万丈目も、それについて疑いは持っていなかったし、その死を見届けたのはオッチョであるから、血の大みそかで死んだはずだった「フクベエ」と同一人物と考えたいところではある。


 他方、すでに書いたが私にはどうしても、ひっかかる点がある。2000年、その「フクベエ」とカンナは出会っているはずなのだが、「フクベエ」がカンナに何らかの接触をした気配は全くなく、さらに、カンナは自分の父親であると認識した様子も全くない。3歳児だから仕方がないのだろうか。

 第5巻の72ページ目、12月21日、「フクベエ」は、万丈目事務所を2か月も張り込んだと語っている。カンナが山形に去ったのは、長嶋巨人が日本一になった10月28日以降である。2人が同じ時期に地下水道にいたかどうかは微妙なところだが、ちょうど2か月なら重なっている。

 少なくとも大みそかにカンナが上京して、ケンヂたちの出陣を見送ったときには顔を合わせているはずだ。ところが2人の間に交流もないし、赤ん坊のときの誘拐を覚えてるカンナが、この時期の「フクベエ」をその後、思い出したというシーンもない。この点に限れば、2000年の「フクベエ」は、本物のフクベエではないような感じがする。


 なぜ私がこんなことに拘っているかというと、血の大みそかの夜、デパートでリモコンらしき道具を持った男に対して、ケンヂの目の前で「フクベエ」がやってみせた迫真の演技が、カンナの父親のものなのか、他人の空似のものなのか興味があるためだ。

 残念ながら、今の時点では、この件について判断ができない。本物でないとしたら単なる役者だが、本物だったら相当の大嘘つきということになる。後者の設定のほうが、もちろん面白いので、ここから先は本物のフクベエが血の大みそかに、ケンヂの目の前で一芝居打ったという前提で話を進めます。


(この稿おわり)



フクベエが拳銃を構えていた場所(2011年11月16日撮影)