ロサンゼルスに住んでいたころ、太平洋戦争中にアメリカの強制収容所に入れられていたという日系のご老人二人と知り合いになった。強制といってもアウシュビッツのようなものではなくて、週末など許可さえ得れば街中に買い物に行くこともできたらしい。それでも大変だったでしょうと訊いたのだが、「徴兵されなかっただけ運が良かった」というご返事であった。日本軍と戦った日系人も少なくなかったのだ。
それにしても、ここ日本では大学で「日本はアメリカと戦争して負けた」という話をすると学生が驚くというから驚く。私の驚きは、常識がないとか歴史の知識が足りないとかいうレベルではなくて、一体どういう工夫をすれば十数年間も、このことを知らずに暮らし得たのかという点に尽きる。
この季節、新聞を読まなくてもテレビのニュースを観なくても、プロバイダーのホーム・ページであろうとSNSであろうと、敗戦や原爆や靖国参拝の話題は山ほど出てくるはずなのに、どうやって上手いこと避けているのであろうか。彼らの親というと私の世代も含まれるが、家庭でも学校でも全く話題にならなかったということだ。この戦争が題材になっている映画や小説だって、今でも作られているのに...。
私の実家の場合、祖父は戦前、木工業の経営をしていたのだが、空襲で工場を焼かれてしまい、跡継ぎの長男(私の伯父)がテニアンで終戦の年に戦死したため、工場の経営は断念せざるを得なかった。私の父はその後に養子縁組により実家にきたので(当時は珍しくなかった)、私は誰より好きだった祖父と血縁がない。
つまり私は、伯父が戦死しなかったら生まれてこなかった。国が送りつけてきた伯父の骨壺には、遺骨も遺品も入ってなかったそうだ。父も16歳になって赤紙を覚悟したが、2週間後に戦争が終わってしまった。そういう話を息子にしている。全国の親御さんには、せめてそのくらいの会話の機会を持ってほしい。戦争の犠牲者の皆さんのご冥福をお祈りします。
さて。第15巻に入ります。表紙絵はカンナとユキジの驚愕の表情と、常にも増して厳しい顔付きのオッチョ。この巻の終盤に起きた、とんでもない出来事を目撃したときの様子を描いたものだろう。第15巻は本物の聖職者たちの物語でもあり、ニセモノの神になった男の登場場面でもある。
第1話「陳腐な予言者」の舞台設定は、2015年のローマ。最初に、テレビのニュース画面が出て来て、ヴァチカン法王庁の発表としてローマ法王の訪日が予定通り行われることや、「真のともだち」である”ともだち”の死を受けて、当初目的の万博開幕式出席を主とせず、彼と日本国民への哀悼の意をこめた訪問になるとの報道がなされている。
その下の絵はスペイン広場だな。この階段には私も座りました。オードリー・ヘプバーンがお菓子を食べたところ。ギリシャとイタリアの旅行中、ローマに4泊してヴァチカンにも行きました。以前、「ピエタ」は話題にした覚えがあるが、他にもミケランジェロの天井画、ラファエロの代表作「アテネの学堂」。何より迫力を感じたのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」。信じがたいことに展示室が工事中で、この絵は壁に立てかけてあった。持ち帰りたかったね。
世界一小さい国がローマ市内にあるヴァチカン市国であることは、小学生のころから知っていたと思う。第16巻のフクベエのインチキ日記に、8月31日はヴァチカン市国館に行ったと書いてあるところをみると、大阪万博にも出店(?)したらしい。どこがヴァチカンとイタリアの国境線なのか、ついに分からぬまま出入国してきた。
「しんよげんの書」を実現させるために、”ともだち”は世界大統領にならなければならないそうだ。モンちゃんが入手したコピーには、「そして、せかいだいとうりょうがたんじょうするだろう」と書かれているだけで、これのみでは世界大統領が”ともだち”ではなくても構わないように思うが、まともに話の通じる連中ではないからな。
世界大統領の誕生は、2003年の山根とキリコの会話によると、ウィルスに先天的な免疫を持つ1%の人間が生き延びて、その6千万人による全会一致の投票により選ばれるというのが「しんよげんの書」の説明だそうだ。どんな国でも自国民の99%が急病で死ねば、国家体制は崩壊するだろう。この混乱に乗じて、世俗権力の頂点に立とうということだ。
しかし、2015年までの”ともだち”は、”ケンヂ一派”のテロや2000年大みそかの細菌兵器から世界を救った英雄であるが、やったことはそれだけで(実際は、やってもいないが)、統治能力は未知数だし、友民党は外国にも進出しているようだが、かといって日本国内にいるような狂信的な信者が世界中にあふれているわけでもあるまい。選挙とは意外と民主的な手段だが、ともあれ反対票ゼロを実現するためには、それまでに全ての人に選ばれて当然の人物になっていなければならない。
しかし、自作自演にも限りがあることは分かっているようであり、そこで先ずはヴァチカンによるお墨付きを得ようという魂胆である。私の知る限り、「しんよげんの書」にはヴァチカンも法王も出てこないから、現実的な判断として世界屈指の宗教的権威にすり寄って、最終的には、うまいこと取って代わろうとしたに違いない。うん。
子供のころ読んだ西洋の童話に、主人公がお願いごとをすることになり、最初に王様、次に皇帝、最後に法王の順で陳情巡りをする場面が出て来て、私はこの三者の区別がつかず序列も分からなくて混乱した。特に、法王というのは何ぞや。某公共放送のサイトによると、日本のカトリック教会の正式な訳語は「教皇」なのだが、習慣的・伝統的に「法王」も併用されているので、そちらも使うという趣旨のことが書かれている。この漫画ではひたすら法王だ。
この物語に登場する法王はカトリックのトップのことであって、後白河さんたちのような仏教において出家した元・天皇陛下とは異なる制度である。冒頭の「ヴァチカン法王庁」は、単なる一官庁ではなく、同国の政府そのものです。政教完全一致国家なのだな。そして、その内部には悪の手先が忍び込みつつあったのだ。
(この稿おわり)
スペイン広場(2006年、ローマにて撮影)
聖ピエトロ大聖堂の前で順番待ちの人々(2006年、ヴァチカン市国にて撮影)
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