おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだち暦 (20世紀少年 第515回)

 ともだち暦について考えます。一体、いつ始まったのか。一般に、現代の日本では元号(年号)と西暦を併用している。ただし、政府のみは元号だけ。法律も判決文も行政文書も原則として西暦は使わない。公的には、元号優先なのである。さすがにパスポートは西暦だが、運転免許証も健康保険証もコインも和暦です。

 元号の決め方については法律があり、他方で「平成」のような個々の元号の名前は政令により定められることになっている。つまり、国会が決めるのではなくて、内閣が決める。法律も政令も短いので引用します。まず、「元号法」より。


元号法
(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

1  元号は、政令で定める。
2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

   附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。


 お次は「平成」を決めた政令

 昭和六十四年一月七日
 政令第一号 元号を改める政令

 内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

 元号を平成に改める。

   附 則
 この政令は、公布の日〈昭和64年1月7日〉の翌日〈平成元年1月8日〉から施行する。


 元号が切り替わるタイミングについて、元号法には上記のように「皇位継承があった場合」としか書かれていない。明確な時間の区切り方(年とか月とか日とか時とか)は定められていなかったのだ。

 このため、1月7日の昭和天皇崩御のときに内閣はちょっと困り、結局、崩御の日を昭和の最後とし、翌日から平成とすることに決めた。当時の官房副長官文芸春秋だったかにそう書いていました。上記の政令において、公布日が昭和六十四年一月七日、施行日がその翌日の平成元年一月八日になっているのは以上の結果である。


 元号法(特に、その第2条)が生きている限り、”ともだち”が日本の首相になろうと世界大統領になろうと、西暦どころか勝手に元号を変えることもできない。したがって、もしも「ともだち暦」のみを正規の暦としたならば、友民党が同法を廃止したのだろう。

 では、いつから「ともだち暦」は始まったのか。日本の元号は、今でこそ元号法に規定されているけれども、歴史の授業で習ったように、昔は時の権力者によって、かなり自由に改元されていた。直近の実例は明治である。

 慶應四年の9月8日に明治天皇が即位したのだが、この日から明治時代になったのではなくて、慶應四年の元日(ただし旧暦)に遡って明治元年とした。このため、慶應四年は、いわば消滅したことになる。「いわば」という妙な言い方をせざるを得ないのは、実在したのも確かであり、例えば慶應義塾大学慶應四年にこの大学名になっている。ダブっていると考えるべきかな。


 この物語では西暦が2015年で終わり、ともだち暦が始まったことになっているはずなので、和暦の元号がどうなったのかは不明である。皇室のことには一切触れていないので詮索しても仕方がない。では、西暦はいつ、ともだち暦に切り替わったのか。

 ともだち暦3年に、サナエが参加しようとしたデモ隊の中の男が、自分たちを取り囲む壁について、「3年前に”ともだち”がウィルスから隔離」したと語っている。ともだち暦3年の3年前は、ともだち暦元年ではなく、その前の年であるから、壁ができたときは明治のように過去に遡ったわけではなくて、まだ西暦2015年。ほかにも「3年前」という表現が後に出てくるので、それで間違いあるまい。


 第17集でサナエとカツオが見つけた電車の中にある古新聞(古号外か)の日付は、2015年5月5日(土)に見える。「2015」のあとの元号は読めない。なお、実際は2015年5月5日は火曜日だが、まあいいや。この時点(ワクチンの用意ができたらしい)でも西暦は続いている。

 かつて、ともだち暦が夏に始まったとして、最初の月が1月になったなら、悩ましい問題が一つ解決すると内心ほくそ笑んでおりました。1月が夏になれば、8月は寒い季節。仮にケンヂの誕生日が西暦で2月20日だったとして、ともだち暦で8月20日になったとすると、第5集でカンナがどうみても冬着でケンヂの誕生日を祝っていた件も納得がいくというものであろう。少なくとも私はさっぱりする。


 ところが、第17集の後半で、その8月20日の決起を間近にひかえて作業中の若者たちは、夏だ夏だと言っているし薄着なので、残念ながら月や季節は、いじらなかったみたい。ちなみに、私の想像は全く根拠がなかったわけではなくて、前例がある。フランス革命は新しい月を作った。テルミドールなど。さすがに季節感が変になったか、外国と違うのは不便だったのか、ナポレオンが元に戻している。

 それより、そもそも「ともだち暦」は世界中で本当に西暦に替えて使われ出したのだろうか。後に出てくるが、バチカンカトリック教会も法王も健在だし、信者も大勢集まっている。そもそも西暦とは、キリスト教のカレンダーなのだ。”ともだち”とヴァチカンは友好関係にあったのだから、そんな大事な暦を強引に止めさせることなどできまい。


 どうやら日本国内だけで、2015年のどこかの時点で西暦を使うのを止め、ともだち暦にしたのではないかという気がする。このスケールの小ささは、「世界大統領」についてもいえる。そういう称号を名乗り、世界がそれを許したとしても、現実に世界唯一の政府のトップになったのかというと、はなはだ疑わしい。それに国連だって存続しているのだ。

 第一、原則として大統領とは共和国の元首であり、つまり世界に一つの王制も認めないと成り立たない。どうも世界大統領は、名誉職みたいなものという気がする。登場人物たちも、高須らを含め殆どの場面で相変らず”ともだち”と呼んでいるのだから、自称世界大統領に過ぎないという感じが濃厚である。

 それに、しんよげんの書によれば(山根によれば)、世界大統領は生き残った6千人の投票で選ばれ、反対票無しのはずである。まだ、名乗るのは早い。というわけで本稿も引き続き”ともだち”呼ばわりします。




(この項おわり)




柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺  子規



kakikueba naneganarunari houryuuji
音楽に例えると、この句は十五文字の間に、K音調からN音調、そしてR音調へと2回も転調している。前半は硬質で、後半は柔らかい。






















































.