おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

傭兵 (20世紀少年 第693回)

 第21集第2話のタイトルは「法王の使者」。登場するメッセンジャーは利発な少年である。久しぶりにヴァチカンの絵が出てきた。サンピエトロ広場は、現実の世界でもこの春は大賑わいになっていたが、漫画では法王の重病説が流れていて人々が祈りを捧げに集まってきているのだ。

 テレビのアナウンスらしい声が流れている。ウィルスで絶滅の危機に瀕した人類に救済の手を差し伸べてきたのは「東の”ともだち”」と「西の法皇」だそうだ。両横綱あつかい。今、その片翼が死と戦っているので、「今一度、奇跡の起こらんことを」願うのであった。実は前回は奇跡でも何でもなかったのだが。今回も同じ輩が悪さを企てている。


 広場では人ごみをかき分けて、10歳ぐらいの少年が大きな袋に何かを入れて先を急いでいる。彼は出前迅速の中華レストラン「金龍楼」の出前担当であり、かつてのカンナの同業者である。「はいはい、ごめんよー」とよほどの大事なお客さんらしいが、そんなに急いで中の料理は大丈夫であろうか。

 少年はレンガ道の短いトンネルの中で、壁にもたれて座り込んでいる黒い服を着た禿頭の聖職者らしき大男を見た。少し気になった様子だが、仕事優先、出前迅速である。出前少年は排水溝のフタを外して中に入り、しばらくして同じ穴から出てきた。もう手にしていた袋を持っていない。出前を頼んだ客はかつてのケンヂたちのように地下に住んでいるのだろうか? 

 同じ道を戻った少年は、同じ場所にまだうずくまっている聖職者を見た。一瞬立ち止ったが、急がないと父ちゃんに叱られるのでそのまま去った。顔を上げたその聖職者は仁谷神父であった。ご無沙汰です。


 次のページはたぶん翌日あたりの話のようで、「何度いらしても同じことです」という大声で始まる。「法王は面会できる状態ではありません」と仁谷神父の入場を拒絶している男は、風変りなデザインの服装で槍のような長い棒を抱えている。私もヴァチカンで実物を見た。スイス人の傭兵である。

 中世の昔からここに雇われて、ペテロのお墓や法王をお守りしているのだ。漫画の絵は白黒だが、現物は極彩色でド派手な制服である。創成期のハプスブルクと張り合って、スイスの強兵は名を挙げた。

 中世のスイスと言えばウィリアム・テルである。彼の敵役である悪代官の名はゲスラーといい、「ヤマトの諸君」と威張っていた総統の名は彼から取られたものであろうか。スイスは永世中立国だが、強力な軍隊を擁している。自分の身は自分で守るという信条であるらしい。


 口の悪い欧州人は、あんな石ころだらけの国、誰が欲しがるかという。だが、スイスの銀行業界といえば、私も昔は同業者だったので噂はいろいろ聞いたが、よく知られているようにどんな客がどんな金を預けているのか絶対に漏らさないらしい。おそらく世界中の悪党から絶対的な信用を寄せられているに違いない。

 それにアルプスのおかげで観光業も盛んだ。なお、かつてスイスの産品といえば時計というイメージだった。「スイス500年の民主主義と平和の産物は何だ? 鳩時計だとさ。」と「第三の男」でオーソン・ウェルズに言わしめたスイスの時計産業は、日本の精密工業が安価で正確な時計をコンビニなどで売り始めてから壊滅したと聞いたことがある。そういえば、キリコはスイスで騙されて逃げ出したんだった。


 仁谷神父は「そこを何とか」と必死である。神父のもとに旧知にして窮地にある法皇から直接、会いに来てくれという手紙が届き、神父は渡航禁止令を乗り越えて、何日もかけてヴァチカンにやってきたのだ。仁谷神父は兵隊に迫ったが、「しつこい」と槍で倒されて階段を転がり落ちてしまった。傭兵も一応、「ご無礼をお許しください、神父」とは言ったものの、「あなたが宇宙人ではないという保証はどこにもありません」と間の抜けた断り口上を述べている。

 「宇宙人か、どいつもこいつも」と神父は本日も撤退を余儀なくされ、精彩を欠いている。今日もまた例の隧道の壁に寄りかかって、疲れをいやしつつ考えを巡らせる。ふと足音がするほうを見れば、例の出前少年が近づいてきており、手ぶらだから出前の帰りであろう。食器の回収がないということは、海外の中華で時々見かける紙の容器で運んでいるのだろうか。とうとう今回、少年は立ち止まって「あのー」と言った。



(この稿おわり)





ご近所のツツジが咲きました (2013年4月15日撮影)



































.