おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

銃声 (20世紀少年 第358回)

 第12巻168ページ目、春さんと携帯電話で話ながら懐かしの小学校前まで歩いてきたマルオは、校庭に人影を見た。若い女性。近寄ろうとした矢先に、彼は「パンッ」という音を聞いた。どこで聞き知ったか、「銃声?」と言っている。

 彼の目の前にいたカンナは、赤子時代の自分を抱えて去った男の行方を追うかのように小学校までたどり着き、男の顔と正体に思い至った途端、同じ音を聞いた。彼女には歌舞伎町でお馴染みのピストルの発射声である。


 1960年代の少年漫画では、銃声の擬音語は「バキューン」というのが代表格だったように思うが、その後、アメリカ映画等の影響か、実際の音に近い表記がなされるようになった。

 治安の悪いころのカンボジアでは、私の自宅周辺でも二日か三日に一度は、こういう「パンッ」という乾いた音がしたものだ。強盗か威嚇射撃か遊びか練習か知らない。祭りの日には花火替わりに皆で空に向けて撃つのだから。

 ちなみに、一度だけライフルの発射音を身近で聞いたことがある。プノンペンの政府機関から外に出たときに、空気を切り裂くような「ギュイン」という音がして、隣を歩んでいた元軍人のカンボジア人が、「AK47」とだけ言ってにやりと笑った。「おう」と私は応じて歩くほかなかった。AKの銃弾は近距離だと車のドアを貫き、中の人を殺すくらいの威力がある。そんな時代もあったねと、いつか話せる時代も来るのだ。


 ロサンゼルスで射撃の練習をしたときは、指導官から拳銃を撃つときは両手を添えて、照準がブレないようにせよと教わった。ちょうど血の大みそかの夜、ビルの上で忍者ハットリくんのお面の男に対して、フクベエが取っていたシューティング・スタイルである。

 でも、山根は右腕を伸ばしただけで、無造作に撃った。のちに彼はオッチョに、自信はなかったけれど、ちゃんと撃てたと正直に語っているので、たぶん至近距離と幸運に助けられて彼の狙撃は成功し、”ともだち”の左胸に命中した。致命傷を与えはしたが、しかし、心臓は貫かなかったらしい。


 このため、”ともだち”は文字どおり往生際が悪い最期をさらすことになってしまった。こんなの予言にないよとか、救急車呼んでよとか、やだやだやだ、とかいう戯言は、独裁者にして殺人鬼の死にざまとして、あまりにみじめである。例えが悪くて顰蹙をかうかもしれないが、せめてサダム・フセインのように傲然と殺されるべきであった。

 しかし、彼が最後の最後に残した、「もう少しで僕は...!!」という言葉の続きが何だったのかは興味がある。万博か? 西暦の終わりか? 世界大統領か? 世界征服か? もしも万博なら、モンちゃんが入手した「ばんぱくばんさい」云々のページには西暦が記載されていなかったはずだから、権力者になった時点で冥途の土産に、さっさと実施しておくべきだったが手遅れ。

 かくて、理科室で生まれたらしい”ともだち”は、皮肉にも”ともだち”と呼ばせた初期の友達の手にかかって、理科室に倒れた。悪いが、ご冥福は祈りません。



(この稿おわり)




飛騨山脈の遠望(2012年5月1日撮影)