おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あなたの嘘を数えましょう (20世紀少年 第687回)

 このブログは原則としてページの順に感想を書いているのだけれども、往々にして過去に遡ったり、先々の話題に触れたりする。後者は思いついたことを忘れないうちに書くだけなのだが、前者の理由はいろいろで訂正だったり追記だったり、今回のように単に気まぐれだったりする(いや、修正に近いな)。

 本日の駄文のテーマは、「1969年の嘘」と「1970年の嘘」についての雑考です。過去これらについて書いたときは、いずれもヴァーチャル・アトラクション(VA)で嘘をついているという観点だけしか示していなかったように思う。

 1970年の嘘とは、実際には1970年にあった首吊り坂の事件をVAでは1971年の設定にしてあり、1971年の嘘とは、第16集によると夜の理科室で一度死んで復活するという「奇跡」の演出に失敗したのだが、VAの中では成功したことになっている。いずれも確かに嘘である。ユキジも69年の新聞の日付については、「”ともだち”の嘘?」疑念を示している。


 でも考えてみれば(この前、週末の朝の寝床で考えたのです)、嘘をついているのはVAの中だけではない。1970年に大阪万博へ行っていないにもかかわらず、夏休みの間ずっと万博に行っていたという大嘘を日記に書いた。ついでに、8月28日にはケンヂに誘われて、つい首吊り坂探検隊に参加してしまったため、さっき大阪から帰ったのだとケンヂに嘘の上塗りをした挙句、きっぱりと無視されている。まあ、テルテル坊主は嘘というより子供らしい悪戯でしょう。

 1971年は「奇跡」の演出自体が嘘であり、ドンキーの表現によれば「トリック」であった。ところで、第12集の夜の理科室で、山根がフクベエに対し「わかっていたけど別に何も言わなかった。君が嘘つきだってこと。」と語り、「一番隠しておきたいのは'70年の嘘? それとも'71年のこの理科室での嘘?」と問うている。


 フクベエは内心、やっぱりこいつ絶交だとでも思っていたのか無言である。やむなく山根は自問自答し、'71年の理科室でつきそこなった嘘こそ一番隠しておきたかったのだと結論を出している。そのためドンキーを殺したのだとまで判断している。

 ドンキーの死は教え子マサオの行方を追うあまり、”ともだち”の正体に迫りすぎたからというのが私の理解なのだが、山根は意見が違う。なんせ彼は'71年にその現場にいて、フクベエとドンキーのやり取りを聞いているから印象が強いのだ。

 これはつまり、山根がいうところの'71年の嘘とは、VA内で復活に成功してみせたという嘘ではなく、現実に子供のときに起きた嘘つきの事故のことを指している。となると、山根のいう'70年の嘘もVAの西暦設定のことではなく、大阪万博に行ったという嘘のことだろうと想像がつく。


 そもそも、VAはしょせんヴァーチャルであって現実ではないという意味において、仮想という広義の嘘の世界であり、また、VA内には他にも忍者ハットリ君のお面をかぶった”ともだち”の少年時代らしき子の顔が大人のサダキヨだったり、首吊り坂のテルテル坊主に隠れてフクベエとナショナル・キッドが交わした話題が現実と違っていたりと個別の嘘も多いのだ。こんなので嘘つき呼ばわりしても大した意味はなかろう。山根は現実世界の歴史を語っているのだ。

 では、第11集で高須が万丈目に語っていた「1970年の嘘」はどうだろうか。こちらも結果的にサダキヨの”絶交”命令が出されたほど深刻な事態であった。高須によれば「メンバーが再結集し、万が一サダキヨに会い、モンちゃんメモを見てしまうと、”1970年の嘘”が暴かれてしまう可能性がある。」そうで、しかも「私たちがあのことを知っているのを、”ともだち”が知ってしまうことになるわ。」というほど怖いことらしい。


 繰り返すが私はこれをVAの中の嘘だと処理してきた。万丈目も高須もVAには詳しいから新聞の年号の嘘くらい知っているだろうというような書き方をした記憶がある。どうやら、これも考え直したほうがよさそうだ。「メンバーが再結集し、万が一サダキヨに会い、モンちゃんメモを見てしまうと」という高須の恐れは、第12集までに、ある程度まで実現した。

 だが、ユキジが「”ともだち”の嘘」を疑った途端に、肝心の”ともだち”が急死してしまい、正体がフクベエであるとオッチョたちが確認したため、嘘の謎解きなどどうでもよくなった。それっきり物語から消えてしまう。だがまだ私の疑問は残る。フクベエ少年が大阪万博に行かなかったことを、山根や万丈目や高須は、どうやって知ったのか。


 フクベエから聞いたのではないことは明らかだ。この時点での万丈目と高須は、「”ともだち”=フクベエ」であると信じ切っており、したがって「私たちがあのことを知っているのを、”ともだち”が知ってしまうことになるわ。」という懸念は、フクベエ以外の誰かから何かから知ったのでなければ生じ得ない。山根少年が第16集で「万博会場で会えると思ったけど」と言ったとき、フクベエは話を逸らしている。彼は生涯、万博の嘘を他人に打ち明けなかったはずだ。

 4年の文集「ゆめ」にも5年の夏休みの日記にも書いてしまったし、これから「ばんぱくばんざい」を始めるのだから口外するはずがなく、彼一人の秘密である。ただ一人の例外を除いて。それがサダキヨだった。そして、高須はサダキヨが嘘を知っていることを知っている。「メンバーが再結集し、万が一サダキヨに会い、モンちゃんメモを見てしまうと」という心配事は、嘘が露見するかもしれない情報源が集まることにより、隠された真相が顕在化するのを恐れているのだ。


 モンちゃんメモに書かれているのは、われらの知る限りサダキヨの告白である。12年も前にサダキヨがモンちゃんに話したことの中に嘘に関する話題があって、しかも寝返ったサダキヨが集まったメンバーに真相を話したら、どこでどうこのスキャンダルが広まるか分かったものではないわと高須は考えたのだろう。

 すると万丈目と高須は、サダキヨから話を聞いたか、モンちゃんメモを盗み読みしたか、いずれにしろサダキヨ情報として'70年の嘘を知ったらしい。たぶん前者だろう。サダキヨが話したか、意図的にモンちゃんメモを見せたかして、万丈目と高須が嘘の存在を知った。

 そして今になってサダキヨが、あの嘘は万丈目も高須も知っていると暴露すると困るから、高須はサダキヨの絶交を要請したのだ。VAの新聞の日付程度で、こんな大騒ぎになるはずがない。万丈目と高須にしてみれば保身だけではなく、間もなく開催される東京万博の宣伝価値が地に堕ちてしまいかねない事態である。


 これでもまだ別の疑問が残っている。山根はどうやって知ったのか。同じく、サダキヨから聞いたという可能性はある。だが、山根のフクベエに対する嘘つき呼ばわりの口調はなかなか厳しくて、心の叫びのようである。

 彼は後にサダキヨから聞いて知っていたのではなく、小学生の段階ですでに、それまで万博万博と大騒ぎしていたフクベエが一切、万博の話をしなくなり、変な実験に凝り始めたので気が付いたのではなかろうか。本当は行っていないことに。

 アメリカ館の行列待ちをしながら、オッチョはヨシツネに万博組の一人として山根の名を挙げている。山根は関西の親戚のうちあたりに泊まり続けて、夏休みの間中、万博三昧だったのだ。それなのに会場で一度も、フクベエに会わなかった。また、”絶交”されたくないから、山根少年は機微に触れそうな話題を出さなかったのだろう。感想文とは本当に言いたい放題なので便利なものだ。




(この稿おわり)





上野の博物館にて。実に凄い作品群であった。 (2013年4月5日撮影)































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