おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

人類の文明の完成形 (20世紀少年 第672回)

 第20集第8話の「僕こそは」は、万丈目のご遺体の絵から始まる。カンナに”絶交”を宣告した”ともだち”は、彼女に背を向けて立ち去ろうとした。カンナは「”絶交”って...」と顔面蒼白であるが、彼女は”ともだち”用語としての”絶交”の意味を知っているのだろうか。第14集のヴァーチャル・アトラクションで、カンナはこの言葉を聞いている。

 時は1970年、大阪万博の年の設定。場所は夜の理科室。「絶交だ」と命令したのはカンナの父の少年時代のCGで、実行部隊はドクター・ヤマネとナショナル・キッドのお面の子で、後者はいまカンナの目の前にいる男かもしれない。カンナはヨシツネやコイズミと共に、”絶交”されそうになったドンキーが2階の窓から下に飛び降りるのを見た。ろくな言葉ではあるまい。


 カンナの行動は迅速であった。去ろうとする”ともだち”を追い、走りながら取り出した手榴弾の安全ピンを抜いた。右手で後ろから”ともだち”のネクタイの結び目をつかんで自由を奪い、手下らに「近寄らないで!」と左手で握る手榴弾を見せた。指で抑えているバーを手放せば爆発する。いつのまに、こんな物騒な物の使い方を覚えたか。

 ”ともだち”は部下に、下がりなさいと命じ、君らを巻き添えにするわけにはいかないとケンヂの真似っこをしたのだが、カンナの評価は低くて「得意の自己犠牲」(法王を救ったふりをしたのを彼女は見ている)と受け流したのみ。カンナはオッチョおじさんとユキジおばちゃんの身柄の釈放を要求したが、手下どもによると二人は行方不明で、自分たちも探しているんだと埒が明かないのであった。


 やむなくカンナは”ともだち”をエレベーターに引っ張って行った。逃げ切るまでの人質であろう。両手を壁につけた後ろ向きの格好で、一体どういう精神構造をしているのかわからんが、”ともだち”は「万博へは行ったかい?」と切り出した。カンナは相手にしない。ワクチンが送られてきた以上、カンナが開幕式に参加したことは知っているはず。一方的にしゃべり続ける”ともだち”によると、開幕から3年ずっと万博は続いていて、今も大勢の人が来ており、永遠に開催されるのだという。

 人々も開幕式に参加した人だけワクチンをもらったことを知っているから、家内安全のためにもせっせと万博に来ないわけにはいかないのだろう。”ともだち”自身、何百回も行ったと語っている。3年の間に? 週一回だけで150回くらいになる。ヒマなんだろう。続いて彼は「子供のころ、1970年の万博、行きたくて、行きたくて、行きたくて」と言っているが、本当なのかフクベエの真似なのかわからない。


 ここから先の言葉に、後日カンナは翻弄されることになる。すなわち、「人類の進歩と調和」は本当にそのとおりであり、あれが人類の文明の完成形であり、すべての文明が滅んだあと、あれだけが残るんだ、素晴らしいよねと感慨にふけっている。聞いているカンナの顔が怖い。大阪万博で人類の文明は完成したのか。そのあとは衰退の一途か。そんな感傷だけで、東京の町並みや暮らしぶりを昔に戻したのだろうか。

 本当にみんな大阪万博をそこまで評価したかどうか。手元にあるアサヒグラフの別冊に、会場で収録された来場者のインタビューが載っている。当時の大人はマスコミに迎合する気はないようで、本名で言いたい放題。いわく、「あんがいすいている」、「道が混んでいる」、「見せもの的な感じで、内容がもうひとつ。全体にあわただしい」、「食堂が少ない」、ベルギー館のコックさんは「野菜が高い」。


 乗り物が故障したらしく「最初からこんな調子では困りますね」、「サイケな」パビリオンについて「あんな建物に住む気はしない。ふつうの家がいい」(これは高校生)、「前に京都にいったけど、ワスはお寺のほうがいいと思った」と厳しい意見も多い。昔のヨシツネと同じ職業の会場清掃係のおばさんは「忙しゅうて忙しゅうて見物してるヒマなんかあらへん」と大阪弁で語っているから現地採用であろう。

 司馬遼太郎は会場内で道に迷い、とうとうパビリオンを一つも見物できなかったと寄稿している。そして会場本部にある職員食堂に紛れ込み、セルフ・サービスのヤキメシ100円を食べただけで帰った。「こんどくるときにはよほど見物戦略をねりあげて来ねばならんと思った。」と結んでいる。オッチョ少年のように計画を練り上げて再挑戦しただろうか。


 折角だから、あと二つほど全文でご紹介します。男性、無職、北海道、67歳。「この万博見物で、明治四十年に北海道に渡って以来、はじめて内地の土を踏みました。こちらは意外に寒くて参っています」。北海道は暖房がしっかりしているからな。それにしても屯田で彼の地に渡ったのであろうか。万博に間に合って本当に良かったです。

 最後に男性、農業、秋田県、70歳。「太陽の塔を見ただけでも、万博に来たカイがあったス。これだけ立派なお祭りが開ける日本てのは、いい国だと思うね。全部残せねえもんかね」。全部は残せなかったが、その太陽の塔は残ったのだから満足しようよ、おじいちゃん。お祭りは終わりがあって、祭りのあとの寂しさを味わいつつ、次を楽しみするのが良いところだ。いつまでも開催するなんて、ケンヂも呆れているが邪道である。さて、エレベーターが下に着いた。



(この稿おわり)



柳の新緑も好きです (2013年3月20日撮影)
































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