おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

こだわり (20世紀少年 第773回)

 第22集の222ページ目という2の並んだページで、「ロボットは止まったけれど、もう手遅れだからね」と”ともだち”が天を指さして得意がっている。このあたりから彼は本当に子供っぽくなっていく。子供らしい子供時代を送れなかった反動なのだろうか。

 彼ご自慢のもう一つの作戦とは、「この円盤がどこに飛んでいくと思う?」という質問に関連している。男は思い出を語るとき多くの人がそうするように少し上を向いて「僕はフクベエのこと、よーく知ってるんだ。ずーっと、そばにいたから、自分のことのようにね」とカツマタ君は言った。


 この「ずーっと」というのが何時からのことなのか、私は知らない。ずーっと前に読んだどなたかのブロクに、この二人は双子だったため顔も声も姿形もそっくりで、苗字が違うのは片方が養子縁組に出されたからであるというご高説を拝読した。なるほど。理屈は通る。でも私にはあまり面白くない。

 読者に与えられた判断材料は、この二人が小学校高学年のころ公園でキリコに目撃されたのが初めての証拠らしい証拠である。カツマタ君の幽霊の話は、ドンキーのお通夜ですでに出ているが、読者の脳裏で二番目の”ともだち”がフクベエと結びつくのは二人のナショナル・キッドが出てきてからのことである。


 したがって、今のところ確たることが言えるのは、サダキヨもいた小学校5年生の一学期ごろからの付き合いが、文献学的には最古の記録ということになる。十分、古い。小学生時代の友達と、数十年にわたり悪の限りを尽くし続けるというのは尋常の沙汰ではない。そりゃあ、よく知っているだろう。

 問題はその続きの発言である。「でも、フクベエのこだわりは、僕のこだわりじゃない。かまわないんだ、あそこがどうなろうと...。」と彼は言う。「こだわり」という日本語は、昔は消極的な意味で使ってたもので、「いつまでも、そんなつまらんことにこだわっているんじゃない」などと叱咤激励するときに用いた。


 つまり執着や未練とほぼ同義だったのだ。今では「こだわりの何とか味」みたいな、職人魂のごとき積極的な意味でテレビが乱用しており、先ほどの”ともだち”の表現を借りれば「もう、手遅れだからね」ということだろう。

 彼は私と同年代のはずだが、その”ともだち”の語法も、フクベエの「こだわり」が万博であることはストーリー上、明白であり、彼も強い愛着という意味の現代用語として使っておる。

 以前書いたので詳しくは繰り返さないが、フクベエはこだわりの万博が開幕する前に死んでおり、その遺業を引き継いで開幕式典に派手な演出をし、さらに永年開会にした挙句、カンナに「聖なる地」と誤解させるほどに褒め上げた。あれは全部、嘘か、全部、作戦か。血で染めるつもりか。


 「あそこって?」とマルオがいぶかっている。そのころ、”ともだち”府に残って円盤を止めようとしていたヤン坊マー坊天気予報(これは、ちゃんと七五調であるとともに、韻を踏んでいるのだ)は、円盤のナビゲーシン・システムにロックがかかっていて軌道修正は不可能であることに気付いたうえに、円盤が3機とも同じ場所を目指していることも知った。

 その目的地は「カンナが都民を集めた」場所で、222ページ目のディスプレイを見ると湾岸とはいいがたい内陸部にあるが、ここは黙ろう。224ページ目の地図では明らかにそれは万博会場のど真ん中、お祭り広場に太陽の塔。そして設営中のフェスティバル会場。ここがどうなろうと構わないという。そして立ち直ったカンナたちも会場に向かっている。


 最後にお断りとお詫びです。この2年間、毎日アップしてきたこのブログですが、仕事の多忙と体調不良が重なってしまい、原稿を書く時間も体力も尽きてしまいました。つきましては、しばらくの間(たぶん数週間)お休みします。必ず戻ってきますので、その時はまた宜しくおつきあい下さい。



(この稿おわり)






学習院大学名物 「血洗いの池」 (2013年6月23日撮影)










































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