おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

前回の続き (今日も読まない)

 今回のブログ記事は、白河の関で書いている。傍らに夕暮れを迎えた公園があり、あの日の13番のようにベンチに腰掛けて、くつろぎながら最終バスを待っています。

 昨日は勿来の旅館で一泊。勿来から白河へ、すなわち浜通りから中通りに抜けるには小生得意の鉄道の便があまり良くない。やむなく、いわきから郡山まで高速バスで移動する。郡山の駅前に放射線線量計が立っていた。


 今回の旅行は直前まで多忙やら体調不良やらで、ほとんど準備も計画もないまま現地に飛び込んだ。おかげであちこちで時間の無駄やら金の無駄やら、でも大した損でもないし旅先ぐらい気にせずのんびりしたいものだ。

 新白河で昼飯に月見蕎麦をいただく。そば屋はケロヨンのように元気なおばさんが一人で切り盛りしている。隣席の若者はスマホの電話でこれから新横浜に戻った後の仕事の打合せをしている。大変だ。


 白河の史跡、南湖公園でゆっくり散歩した後、幹線道路でタクシーを待つこと30分余。ようやく拾ったタクシーの若い運転手さんによれば、この辺りは一日待ってもタクシーが来るような所ではないらしい。

 彼は近くまで別の客を運んだ帰りに、偶然通りかかったそうだ。私でも運が良いことがあるのだ。たどり着いた関所跡はオフ・シーズンとあってか全面改築工事中で、神社の周辺以外は立ち入り禁止。運が悪いときもある。


 タクシーの車中で運転手さんが話してくれたのだが、一昨年の大震災の直後は新幹線が不通となり、東北自動車道も一般車輌は通行止めになった。

 彼は福島から脱出するお客さんたちを乗せて、何回も東京まで往復した。高速が使えないので、片道8時間ぐらいかかったそうだ。大阪行きを所望した客もいたらしいが、さすがに東京駅で勘弁してもらったらしい。

 逃げ脚が速かったのは医療関係者で、そのほとんどは戻っておらず、二つある大きな病院は人手不足で困っているらしい。最初のうちは知事も県外から通勤していましたからねとタクシー・ドライバーは笑う。


 彼には幼い娘さんが二人いて、できることなら遠くに引っ越したいが、家庭の事情がそれを許さないという。郡山の知人宅では、雨樋の下などで計測すると、放射線量は三桁になることもあるらしい。因果関係が不明ということで報道されていないようだが、甲状腺がんはすでに現地の子供たちを襲い始めていると聞いた。

 私が駅前で見たカウンターは小数点未満だったのに。地元ではこの事態を招いた会社を「とーでん嘘八百シーベルト」と呼んでいるそうだ。福島でしかとれないもの以外は、地元の産品を食卓に並べる気になれないと言ってみえた。


 話の途中で関に着く。観光客は我一人。周辺をてくてく歩き、途中までこの記事を書いて新白河に戻る。ホテルの近所で見つけた中華で晩飯とビールをいただき、ジャック・ダニエルズを買って帰る。

 東北、隠岐八重山諸島、どこに行っても地元で聴く話と、東京で報道されている内容に食い違いがある。自分で選ぶしかない。選べるだけでも幸いだ。




(この稿おわり)






白河にて、(上)関所跡、(下)南湖公園






郡山駅前にて








会津の空 (今回はすべて2013年12月13日撮影)







レモン哀歌   高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

昭和一四・二 (青空文庫より)





























































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