おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

本日は一休み (20世紀少年を読まない)

 今のところブログはこれだけなので、漫画と関係ないことを書きたいときも、ここを使うほかない。これを書いている今(2013年12月12日)、旅先の旅館では外の道を流していく「石焼き芋、焼き立て」という不滅の言い回しが聞こえてくる。

 荷物抱えてあちこち歩き回って脚が疲れたが、風呂に入ってようやく寛いできた。ここは福島県いわき市の勿来。あの百人一首の「なこそ」だ。来る勿れという漢字を当て、古来、歌枕として詠み込まれてきた。

 古文で言えば「な来そ」。来るな。女が男を拒む歌にも使う。我らが若いころは、「おともだちとして、付き合ってください」などと遠回しに断られておりました。友達なんて、なろうと言ってなるもんじゃねえのだ。


 東日本大震災以降、年に一度、被災地を訪れることに決めた。最初が南三陸、次が益子と大洗、そして3度目の今回が、ここ勿来と明日の白河。関所巡りと洒落てみた。毎回、二泊三日で現地を歩くばかりの旅だ。支援活動もしない。ただ来るだけ。

 陽が沈む前に、駅のそばにある店で地酒を買ってきた。途中の道で向こう側から歩いてきたジャージ姿の坊主頭が、大きな目ではっしとこちらを見つめて「こんちは」と言った。私もしっかと視線を合わせて、男の挨拶を交わしてすれ違ったのであった。

 見知らぬ人に挨拶されたのは、前回の大洗のセーラー服以来のことである。さすがは世界を唸らせた被災地の青少年。鍛えられ方が違う。必ずや連中が立て直す。


 福島出身の智恵子に、東京に空が無いと言われてしまった。今の東京は当時よりも更に天が狭い。ここ浜通りの空は本当に広い。ほんとの空、あどけない空。山は海に迫り、稜線はなだらかだ。今宵の酒は安達太良山の伏流水で仕込んだものらしい。


 海岸まで歩いてみた。津波は沿岸にある火力発電所も襲ったそうだ。大規模な防災工事が行われている。幸い今日は寒いが好天で、空の青さを映して海も群青色に染まっていた。私の目には、この上なく長閑な光景にみえる。

 それなのに報道などによれば、福島の農産物や海産物は風評被害で値崩れしたまま、生産者の暮らしを追い詰めていると聞く。震災は始まったばかりなのではないか。


 今日は海に行く前に、当地の文学歴史館にも行ってきた。受け付けて下さった初老の男の方は、年齢や服装からして館長さんだったかもしれない。福島ご在住かと訊かれたので、東京からちょっとした旅行で来ましたと答えたところ、「ありがとうございます」と深々と頭を下げられてしまった。

 こうしていつまで年に一度の一人旅を続けるのかなど考えたこともなかったが、今日はこう思った。東京くんだりから来たというだけで、最敬礼などして頂かずに済む日が来るまでだ。





(この稿おわり)





いまだに常磐線は途中から先は通れない。
(2013年12月12日撮影)





勿来の関 (同日撮影)






 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
 名こそ流れて なほ聞こえけれ

                  大納言公任










































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