おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

西日暮里の十字路 (20世紀少年 第574回)

 第17集の第11話には珍しく、というより唯一、わが地元が場面が登場する。ダミアンが思い出している十字路は、西日暮里駅前にある尾久橋通と道灌山通の交差点であり、拙宅から歩いて10分程度の距離にある。千代田線もときどき利用するので、私の生活圏にケンヂとダミアンが入ってきたことになる(いや、まだこれからか...)。

 201ページ目の絵に描かれている十字路は、今やすっかり様相を変えている。2008年に開業した都営モノレール日暮里舎人ライナーの低い高架が、この交差点の上で双曲線のようなカーブを描いているので、二人の姿の後ろにある東京メトロ西日暮里駅の第3出口も反対側からほとんど見えず、空中の歩道までできて十字路の上空を覆い隠してしまった。

 
 東京に空が無いといふ。夫にそう語った智恵子は、この交差点から歩いて数分の太平洋美術会で絵を習い、近所で生まれ育った高村光太郎と知り合って結婚した。智恵子は後に精神の錯乱を起こし、結核で亡くなった。光太郎がその最期を「レモン」という詩にうたっている。宮沢賢治の「永訣の朝」、中原中也の「梅酒と弟」、いずれも忘れられない作品である。

 少し湿っぽくなった。かつて私はこの十字路の絵と同じ角度で写真を撮ろうと思い、筋迎えのビルの非常階段を上って屋上まで行ったのだが、モノレールと道路の一部しか見えなくて断念した。絵に拠れば、歩道にしゃがんでギターを抱えているのがケンヂで、となりに立っているのがダミアンだな。


 春さんは多忙だったらしく、マルオが最初にコイズミが録音したダミアンの路上ライブを聴いたらしい。「才能あるな」とマルオは言った。コイズミは諸手を挙げて万々歳、ダミアンは照れている。だがマルオは続いて、「これ、君が作ったのか」というコイズミにとっては不可思議な質問をし、ダミアンにとっては痛い所を突いてきた。

 マルオは遠回しに、こんな時代だから著作権も何もないと言っている。その先は少し自嘲気味で、レコードもCDもろくに売れないし(すでに今もう、そうです)、”ともだち”の許可なくしてはラジオも駄目、うちも一部の特権階級にムード音楽を流しているだけであって、下手に戦えば消されるだけだと述べた。

 コイズミは「ヨシツネさんや遠藤カンナの行方はまだ?」と尋ね、マルオが「ああ」と答えているところをみると、彼らはゲンジ一派と氷の女王についての情報を持っていないらしい。この曲は発表できないのかと訊くコイズミだがマルオは無言のままである。やや戦意喪失気味だな。


 春さんはレコーディングが長引いたそうで、待たせたね言いながらと遅参してきた。国民的歌手に「かけて」と言われて、ダミアンは「はひ」と答えている。権威に弱いんじゃロックとは言えねえと奴なら言うだろう。MDを聴いた春さんは「マルオの言う通りだな」と言い、続いて「この曲、君が作ったのかね」と同じような質問をしてきた。

 ダミアンはすっかり意気消沈してしまった。マルオが才能あるなと言っていたのは、作詞・作曲のことだったのか、歌唱か演奏のことだったのか明確ではないのだが、やはり、それを黙っていたのはまずかったな。カヴァーは別に恥ずかしいことでも何でもなく、ジミ・ヘンドリクスだってエリック・クラプトンだって、元気なころのビートルズだって盛んにやっていたのだ。歌や演奏にオリジナリティがあれば充分。


 ダミアンは正直に「教わったんです」と答えた。「誰に」とマルオ。ダミアンによれば、3年前の2015年、エロイムのライブが終わって帰宅中に、酒で気分も良くなっていたため西日暮里の十字路でギターを弾き始めたらしい。ギターのデザインは彼のトレードマークであるダイヤ模様になっている。これはエレクトリック・ギターだな。

 すると、その男が立っていたんだとダミアンは言う。そして男は、「いいこと教えてやる」と押し付けがましくも自分のギターを弾き始めた。するとビックリ、ダミアンの耳から都会の喧騒が消え去り、男の演奏だけが流れているだけということになったらしい。


 生活音を録音・再生してみると分かるが、私たちの耳は(というより、その信号を受信している脳の担当部署は)、余計な音を無意識に遮断するという優れた能力を持っている。男の音楽はそのときダミアンの聴覚を独占したのだ。そのときの歌がこれかとマルオが訊いている。ダミアンは黙ってうつむいてしまった。

 ところで、多くの読者もお気づきのことと思うが、これが2015年というのはおかしい。第10集第2話の「クロスロード」に出てくるエロイムはすでにギタリストがダミアンからロメロに交代したあとであり、コイズミが観たライブは前後の展開からして2014年であることは間違いない。


 このときハート顔のメデューサさんがコイズミに語った経緯によれば、ダミアンは西日暮里の十字路で悪魔と会って、ゲーテのように魂を売り渡して新たな音楽を手に入れたことになっている。ケンヂはのちに蝶野巡査長に対して、1回だけ東京に言ったと語っているから、ハートとダイヤが語っているのは同じエピソードだ。

 同じような年号違いは第8巻第11話の冒頭で、ヨシツネが首吊り坂の肝試しを1971年と語っている場面にも出てくる。当の本人が間違いなくあれは小学校5年生の1970年だと第12集でコイズミに怒鳴ってるのに。どちらも言い間違いとか勘違いとか強引な解釈もできるが、まあ、作者側の凡ミスでしょう。大勢に影響なし。




(この項おわり)



上: 西日暮里の十字路 (2012年12月20日撮影)
下: 太平洋美術界の看板 (同日撮影)








 レモン哀歌

 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう


    高村光太郎 「智恵子抄」 (昭和一四年二月)


























































.