おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Gang Age (20世紀少年 第430回)

 今回は、小学校6年生のヨシツネの話題に入る前に、関連して少し真面目に脱線します。「ギャング・エイジ」という言葉を初めて耳にしたのは、去年か一昨年の或るセミナーの席上で、講師は精神科医かつ産業医の先生、内容は近年、職場で大きな問題になっている「新型うつ」についてのものであった。

 資料に沿った講義を終えた後で、その医師が参考までという感じで、現代の日本の若者に「ギャング・エイジ」の経験がほとんどないことが、若年層を中心に新型うつが多発している一因になっているのではないかとの考えを示された。


 「ギャング・エイジ」とは、そのときの記憶では、遊びや喧嘩を通じて子供同士が切磋琢磨することにより大人になるプロセスというような説明だったと思う。ところで、この言葉は心理系の資格を取ったときの参考書や、広辞苑、英英辞典などには載っていない。

 ネットで調べてみると、発達心理学・児童心理学や教育現場において使われているような記述が散見されるが、どうも定義が明確でない。それに、近代心理学は歴史もそれほど古くないので、主要な理論や概念は提唱者が誰なのかはっきりしているものだが、それも書いてない。
 

 とは言え、幸いなことに「デジタル大辞泉」にはそれなりの解説が載っていた。小学館の情報だ。間違いあるまい。「ギャング‐エージ」とは、「小学校後半くらいの年齢の子供が、同性だけの閉鎖的集団をつくって、いたずら・遊び・乱暴な行為などをする成長過程の一時期。徒党時代。」とある。「エージ」よりは、「エイジ」のほうが良いと思います。

 ギャングという言葉が使われているが、暴力組織や反社会性という意味合いではなく、大辞泉にあるように、閉鎖的集団すなわち徒党を組むという特徴を示したものらしい。気になったので、英語でも調べた。


 ネットで見つかった中で最も古い文献は、1927年に書かれた「BOOKS REVIEW」すなわち書評の一遍。そこに紹介されている1926年出版の書籍の中に「Gang Age」が出てくる。1926年とは、大正時代が終わって昭和時代が始まった年である。

 この書物の題名は、「ギャング・エイジ 思春期前の少年およびその娯楽の必要性についての研究」(以下、私訳です)という。著者は博士号を持っていて、アメリカの大学で「社会学」を教えている人らしい。書評なので、必ずしも著作の本文と同じではなかろうが、ちょっと拾い読みしてみる。


 研究対象となった少年たちの年齢層は、理由は不詳ながら「7歳から10歳半まで」であり、どうやらアメリカで、この年代は「一般的に、思春期前、ギャング・エイジ、ホモセクシュアル期などと呼ばれている」らしい。最後のホモセクシュアルとは、成人男性同士の性行為・性的趣向のことではなくて、男子だけの世界という意味だろう。どうやら、学術用語というより日常用語のような感じがする。

 その特徴は、「チーム」を組んでの遊びと、女子に対する反感であるという。それ以前の幼児期においては、グループの顔ぶれには余りこだわらないし、男女かまわず遊ぶ。それ以降の思春期の男にとって、女性は反感転じて関心の対象となるし、各人に個性が出て来て同じ仲間とばかり行動するとは限らなくなる。


 以上は日本の男性諸兄におかれても、きっと心当たりがある人が多いのではないか。私もよく分かる。自分の遊び盛りは小学校4年生までだったし、女の子にいじわるして喜んでいたのも、そのころまでだ。

 私の場合、5年生になって一気に内向的な少年になったのだが、それは実家が5年生になった春休みに引っ越して、近所の子供たちとの交友関係が途切れてしまったからだとばかり思っていた。つまり、ちょっと親のせいにしていたわけだ。

 しかし、実家は転居しても学区は変わらず転校しなかったし、4年から5年に進学するにあたりクラス分けはなかったので、学友は同じ顔ぶれである。それなのに、はっきりと覚えているが、同じメンツで連れだって遊ぶのがめっきり減ったことは間違いない。この引越は、私のギャング・エイジが終わる一つの契機に過ぎなかったのかもしれないと思うようになった。


 今は亡き河合隼雄さんは、その豊かな子供相手の心理療法の臨床経験から得た実感として、子供は思春期前の10歳ごろに、いったん、子供ながらの人格形成を成し遂げて、落ち着く時期があると複数の著書に書いておられる。上記のアメリカ人の説明や大辞泉の解説と通底しているように思う。

 洋の東西を問わず、子供というのはこういう風に育ち、あの苦しくも退屈な思春期を経て、大人になっていくものだったのだろうか。新型うつは、別の医師の意見では20年ぐらい前からすでに精神科医の間では実例が知られていたそうだが、最近急増しているのは、ギャング・エイジの存在を可能にし許容するような社会環境が、今の日本から急速に失われつつあるということだろうか。


 先の「7歳から10歳半まで」という年齢層は、小学校の学年でいうと2年生から5年生ぐらいである。「20世紀少年」においては、蛙帝国と忍者部隊の闘争が3年生のとき、秘密基地を作って「よげんの書」を書いたのが4年生、万博と首吊り坂で盛り上がったのが5年生のときである。

 秘密基地は、例外的にユキジが参加しているが、少女漫画が嫌いで柔道の達人という男勝りの少女だからであって、基本的には男子の世界である。もちろん、ヤン坊マー坊もその共同体に含まれている。

 ヴァーチャル・アトラクションのボウリング場の中でヨシツネの回想に出てくるように、6年生になるとギャングたちの関心や行動は、家事手伝い、中学受験、ロック、ボウリングやピンボールなどに分散するようになった。ヨシツネは神様のボウリング場のせいにしているが、それは我が家の転居と同じで、きっかけの一つに過ぎない。みんな成長したのだ。


 ヨシツネはその中で自分だけが何をやっていたか思い出せないし、モンちゃんも知らないのでガッカリしている。だが、私だって4年生までは友達とどんな遊びをしていたか詳しく覚えているが、5年生や6年生の夏休みに何をしていたかなど、ほとんど全く覚えていない。

 それに、ヨシツネと違って、多分それを思い出す機会も永遠に訪れないだろう。この半生で転居を重ねた結果なのか、残念ながら日記も写真も殆ど何も残っていないし。生きているうちに、私のような平民でも個々にヴァーチャル・アトラクションを持てる時代が来るといいけれど。



(この稿おわり)


 


海色の空(2012年7月10日撮影)





空色の海(2012年7月10日撮影)