おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ハードSF (20世紀少年 第429回)

 内村の個人総合優勝はお見事でした。彼は子供のころトランポリンで運動の感覚を磨いたというのが面白い。スポーツでは砂浜を走ったり高地でトレーニングしたりと、普段よりも負荷をかける方法で筋肉や心拍・肺活量を鍛えるという話は良く聞くけれどそれとは逆転の発想だ。

 私が小学校6年生だった1972年のミュンヘン・オリンピックで塚原が見せた2回転1ひねりの着地技は、ちょうどアポロ計画が月面に宇宙飛行士を送り込み続けていた時代ともあって「月面宙返り」と呼ばれたが、いまでは「ツカハラ」になっており、日本中・世界中で呼び捨てにされていると塚原さんご本人が談笑してみえた。

 同氏によれば、「ツカハラ」もトランポリンから着想したというから面白い。高難度で華麗な技は、開発者の名が残る。ツカハラやイナバウアービールマンのように、「ウチムラ」が登場したら楽しい。


 さて。文学のジャンルに明確な定義や境界線はない。時代劇かつミステリといった複数の要素を兼ね備えた作品もあれば、ボーダー・ライン上にある作品も無数にあるだろうし、それらがどのジャンルに属するかといった議論など、たいていの読者は興味ないだろう。書店や図書館は、本の置き場所に困るかもしれないけれど。

 「20世紀少年」は単行本の表紙に、「本格科学冒険漫画」と書いてあるので、私はこれをSFとアドベンチャーと訳して読んできた。冒険漫画をアドベンチャーと解したことも、本作がアドベンチャーをテーマにしていることも間違いはないと思う。他方、SFについてはどうだろうか。


 SFの古典的な説明は、広辞苑にあるとおり、「(Science Fiction の略)科学の発想を基にし、未来社会の人間を描く空想的小説」であり、創始者ジュール・ベルヌ、HGウェルズといった人たちである。

 現時点の科学工学ではまだ実現できていなくても将来、技術が進歩すれば、こういうこともあるかもしれないという世界である。テクノロジーが発達するに従い、読者もドンキーのように目が肥えてきて、発想や描写が科学的かどうかという評価が厳しくなる。アシモフ、クラーク、ハインラインといった作家たちは、こういう点で苦労もし、また腕の見せ所でもあった。

 本邦では小松左京の「日本沈没」が典型例であろう。ハードSFというサブ・ジャンル名で呼ばれることもある。今日、優れたSFは短編に多いと聞いたことがあるが、確かに大長編では書いているうちに時代遅れになってしまうかもしれない。

 
 一方で、ハードSFとは異なり、科学的なリアリティーは二の次、三の次と開き直り、とにかくすごい宇宙船やロボットや宇宙人が出てきて楽しければよいという活劇的な作品も昔から多い。スーパーマンウルトラマンも宇宙人である。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」も「スター・ウォーズ」も、科学的・技術的な説明は不要というより、娯楽のためにはむしろ煩わしいだけだろう。

 これら広義のSFとでも呼ぶべき空想科学的フィクションは、単なる娯楽作品ばかりではない。浦島太郎はタイム・トラベラーだったし、竹取物語かぐや姫は月世界人であった。怪談もしかり、われわれには訳の分からないものも、ときには受け入れて楽しむ貪欲さがある。


 「20世紀少年」もハードSFに分類すべき作品ではないだろう。殆どの読者にとって、巨大ロボットがどのような構造や動力により二足歩行するのかは敷島教授だけが知っていれば宜しい。空飛ぶ円盤の詳細設計内容を知る必要もないだ。まして、予知夢だのスプーン曲げだのが出てるから、長年ハードSFを読み親しんできた私は、あちこちでつまづいている。

 それでも、ヴァーチャル・アトラクションだけは、この物語の主要な舞台装置の一つなので、何とかその仕組みを想像してみようと、これまで頑張ってきたし、これからもがんばる。とはいえ、第14巻でマスクの男と万丈目が消えた途端に、なぜバーチャル・アトラクションが歪み始め、ヨシツネの表現を借りれば、「3D画像がどんどん安っぽく」なってしまったのかについては説明困難である。


 まして、同じ3Dの山根とナショナル・キッドが安っぽくならずに、何故そのままの姿なのかも解説不可能。ともあれ、カンナは身の危険を感じた。ヨシツネは「お前の持っている不思議な勘を信じる」と言ってカンナに命綱を託したのだが、その勘が発揮されたのはアトラクションの内部であった。

 「逃げなきゃ。小泉、どうやって脱出するの?」とカンナは訊いた。外にいるエンジニアに頼るよりも、コイズミを選んだか...。コイズミは「知らないわよ」と即答している。操作方法のことだと思ったのだろう。ヨシツネに、強制終了ボタンを押したが生還したのはおまえだけだったと言われて、コイズミは仰天している。他の2人が自死したことを黙っていたらしい。


 だが、コイズミは例によって土俵際で強い。思い出したのだ。前回、直前に何をしたのかを。彼女はナショナル・キッドの少年に向かって、「あんた、あの時とお面違うけどサダキヨよね?」と言った。

 相手は無言だし、前回と違ってお面を外すのを嫌がったがコイズミは強引にはぎ取って再び絶叫した。コイズミがこの時見たものは、後になってからも分からない。描かれていないし、彼女は後々も語っていない。どうやらヨシツネとカンナは顔を見なかったらしく、最初に生還したのはコイズミだけだったので証人も他にいない。

 またも大人のサダキヨの顔では驚くまい。だが、それなりに怖かったのだ。想像するしかないが、ある程度の根拠を求めるとするならば、バーチャル・アトラクションのお面の下で怖い顔といえば、のっぺらぼうしかあるまい。



(この稿おわり)

 


釣り船より(2012年7月10日撮影)




亜熱帯の太陽に笠(同日)
















































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