ステージ上で右手を挙げて「カンナ、じゃあ行ってくる」と挨拶したヨシツネは、次の瞬間、ヴァーチャル・アトラクション(VA)の中で、雑草の生えた地面に落ちる自らの影を見下ろしていた。コイズミも幸い、同じステージの同じ場所に着いた。彼女は暑いと文句を言っているのだが、ヨシツネは夢中で「本当に僕らの子供のころのあの風景だ」と驚きを隠さない。
ヨシツネが立っている飛び石のある小道は、第8巻の154ページ目でコイズミが送り込まれた場所と同一である。ただし、「遊ぼ。」という少年の出迎えはない。研修とは設定が違うのか。ちなみに、第8巻の159ページで4少年が屯(たむろ)している踏み石の小道はこれとは別のもので、ジジババの店の前から延びている。「21世紀少年」の上巻で、カンナは少年時代のサダキヨとここで出会った。
「遊ぼ。」の少年が居る居ないの違いだけではなく、後ほど判明するが、このステージは第2話のタイトルどおり「本物の1971年」であるらしく、かつてコイズミが体験した「1970年の嘘」の世界とは似て非なるものである。ヨシツネとコイズミは秘密基地とボウリング場の違いでそれに気づくのだが、私のように熱心な読者のみなさんにおかれては、その前に変だなと感じる場面がある。
それはすなわち、ポルノ映画のポスターの違いです。前回のコイズミが発見した「イヤガラセ」のポスターにある映画の作品名は「熟れすぎた人妻 欲情のわななき」であったが、今回ヨシツネが見つけて喜んでいるほうは「人妻快楽列伝 肌じまん」。
この種の情報は私どもが子供のころ、新聞の映画欄や招待券などに普通に載っていて、せめてタイトルだけでもと、皆で鑑賞して楽しんだものだ。ちなみに、秘密基地の解散式で缶カラの中に入れたポスターも、「21世紀少年」の第2話に出てくるポスターも、それぞれ、これらとは異なる。こういう漫画を描いたり喜んだりする時代はもう来ないだろう。
ミンミンゼミが盛んに鳴いている。今どきの若者らしく、コイズミは暑さに弱い。冷たいものを欲しがっているが、ヨシツネは「しっかりしろ」と平然としている。われらが幼少のころは、やかましい子供たちが家の中で騒ぐのを大人は嫌がり、夏でも冬でも「外で遊んでなさい」と放り出された。外がまだ安全安心な時代であった。
このため鍛えられ、われわれの世代の数少ない取り柄として、天然の暑さ寒さには比較的強く、熱中症(当時は日射病という言葉しかなかった)で倒れた者など見た覚えがない。先日、同い年のご近所に確認したところ、彼も同意見であった。なお、昔は季節を問わず、学校の朝の集会などで子供がよく倒れたが、あれは多分、栄養失調による貧血だったのだろう。
何十年ぶりかで、ヨシツネは「ジジババのババァ」を見た。彼はアイスの冷凍庫の下を探って10円玉を見つけ、コイズミに10円のアイス(やっぱりハズレだったが)を買ってやる。財布を開けたときに小銭を落としやすいのだ。今はアイスの冷凍庫など滅多に見ないが、本当に困ったときは、自動販売機の下を探ってみてください。
ここでヨシツネが買い物をしたのは、礼儀ときっかけのためでもあり、彼は新聞を見せてもらって日付を調べた。昭和四十六年、1971年の8月。日付は見えないが、後に前回コイズミが見た新聞の日付より3日遅いことが分かる。
ジジババの店、路地、公園。「すごい」を連発しながら、ヨシツネはVAの出来栄えに感心している。ところが、コイズミは「なんか違う」といぶかしがっている。かつて彼女は、1年成長する前後の子供の違いを見破った。今回は街並みの違いが相手だ。
歴然とした証拠が、すぐに見つかった。前回のVAでは、原っぱに秘密基地があり、彼女はそこでヤブ蚊の攻撃に悩まされ、ケンヂに誘われて首吊り坂まで往復し、マンガ雑誌を枕に夜を明かして、目の前を走り抜けようとしたヨシツネ少年をとっ捕まえた。
彼女もヨシツネも、その場所を覚えていたのだ。そして、そこにたどり着いた。草っぱらはもうない。ボウリング場が建っている。「悪の殿堂」、ガッツボウルの初登場。ヨシツネの過去と、コイズミの将来に深くかかわる場所が、これからの舞台になる。
(この稿おわり)
石畳(2012年6月24日撮影)