ボウリングは1971年に大ブームだったのにもかかわらず、ヨシツネが一度しか来たことがないと聞いたコイズミは、なぜ一回だけかと理由を尋ねている。ヨシツネの返事は、二転三転する頼りなさ。最初は、料金が高すぎて小遣いが持たないからだと答えて、コイズミに「貧乏な子達だったんだ」と軽くあしらわれている。これは私も同じだったので分かる。
しかし、ヨシツネは前言を撤回して、僕らを追い出した悪の殿堂に金を払うもんかという心意気だったと言い出した。これなら私と違う。かっこ良い。たいだい、日本人の不買運動ほど長続きしないものも珍しかろう。南太平洋でフランスが核実験を行った際、フランス産ワインの不買運動が報じられたが、あのときなど、そもそも掛け声だけだったのではないか?
だが、ヨシツネは段々と真相を思い出してきた。オッチョもマルオもボウリングをやっていたのだ。ケロヨンも一緒だったという。どうやら、本人の「一度だけ来た」というのも怪しいものだな。では、ケンヂは? しばらく悩んだ後で、ようやくヨシツネは思い起こした。目の前にピンボールの台が並んでいる。
ケンヂは、「僕はピンボールの魔術師だ」と言って、ピンボールばかりやっていたのだという。遊び場で子供ができる電動のゲームといえば、ピンボールぐらいしか無かった時代である(ボールを突く操作自体は手動だが...)。
後年、ようやく古典的な「ブロック崩し」が出てきて、これがゲーセンの始祖であろう。インベーダー・ゲームが衝撃のデビューを果たしたのは高校3年生のとき。1978年。サザン・オールスターズの登場と同じころ。
中学生のとき、母と同級生という妙な三人組で、映画を観に行ったことがある。本命は「ゴッドファーザー・パート2」で、アル・パチーノとロバート・デニーロが共演している。湖上の舟で実兄を暗殺するという陰惨なシーンしか覚えていない。
昔は映画のロード・ショーは通常、2本立てで、意外と本命以外のほうが面白かったりするのだが、このときの2本目は何とも言いようのない変な作品で、「トミー」というイギリスの映画であった。分からんものは分からん。
主演はロジャー・ダルトリー。三重苦の男。共演は同じバンドのメンバーで、すでに何回かこのブログでも話題にしたザ・フーの皆さんである。むしろ印象に残ったのは初めて見た脇役連中のほうで、今もティナ・ターナーのど迫力や真面目な顔でギターを弾きながら歌っていたエリック・クラプトン、短い脚に長い靴をはいて「ピンボールの魔術師」の対戦相手を演じるエルトン・ジョンの姿などを覚えている。
楽曲"Pinball Wizard"は、私の印象だと"Substitute"や"My Generation"と並ぶ、ザ・フーの代表曲の一つである。イントロは肩に思いっきり力の入ったピート・タウンゼントのリズム・ギターで始まる。私はこういうギター・プレーが好きで、ドゥービーズのトム・ジョンストンとか、若き日のジョン・レノンとか、ストーンズでいえば「ブラウン・シュガー」とか、今でもよく聴く。
ケンヂはすでに小学生にして、「ピンボールの魔術師」を聴いていたらしい。ヨシツネの回想によれば、1971年の小学6年生の夏休み、オッチョは受験勉強、マルオとケロヨンは実家の商売の手伝いをしている。だが、ケンヂは酒屋の手伝いをしておらず、お母ちゃんによれば「また、どっかほっつき歩いてんだろ」との情報があった。
しかし、ヨシツネ少年が探し出したその日のケンヂはベンチで寝転がって、イヤホンでラジオのFENを聴いていた。ヨシツネが知らない音楽で、CCRとかCSN&YとかGFRとかいうグル―プらしい。
CCR、クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバルと、CSN&Y、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングについては、すでに物語に登場しており、ここでも話題にしました。GFR、グランド・ファンク・レイルロードは残念ながらアルバムを持っていない。元気が取り柄のバンドという印象がある。
なお、ヨシツネが見かけたケンヂの寝転んでいるベンチは、おそらく向こう側に見える石壁の絵からして、神社の中にある小さな公園内のものだろう。境内の公園は、コイズミが前回バーチャル・アトラクションに入った第8巻、少年たちが首吊り坂の日に一旦解散して再集合したときの絵に描かれている。
同じような鳥居の柱は第1巻、アポロ月面着陸の日にドンキーが駆け上がった階段の横にも立っている。それはそうと6年生のとき、肝心の自分が何をしていたか思い出せないヨシツネであった。
(この稿おわり)
鳥居の柱と石畳の参道(2012年6月24日撮影)
根岸にて(今朝撮影)
Ever since I was a young boy,
I've played a silver ball...