おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

会計検査  (第1369回)

 今回は第七章「財政」の最後に置かれた二か条です。会計検査というのは、一般に国民にとって余り身近なものではないと思う。詳細は書けないが、私は会計検査院に呼び出されたことがある。ただし、「容疑者」としてではなく、一応「被害者」の側だったのだが、厳しい体験でございました。

 いつものように、いまの憲法と、自民党改正草案を並べます。改正草案が、なぜ第90条に第3項を追加したのか、意味が分からない。きっと、会計検査の結果を利用して、何度でも予算案を作りたいのでございましょう。


【現行憲法

第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
二 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


【改正草案】

(決算の承認等)
第九十条 内閣は、国の収入支出の決算について、全て毎年会計検査院の検査を受け、法律の定めるところにより、次の年度にその検査報告とともに両議院に提出し、その承認を受けなければならない。
二 会計検査院の組織及び権限は、法律で定める。
三 内閣は、第一項の検査報告の内容を予算案に反映させ、国会に対し、その結果について報告しなければならない。

(財政状況の報告)
第九十一条 内閣は、国会に対し、定期に、少なくとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


 換言すれば、第七章の財政は、第89条までが予算で、第90条と第91条が決算。決算のほうがずっと、少ないし短い。それに、決算作業を内閣と国会と会計検査院にお任せするという内容にしか見えない。

 思うに、これが日本国民の弱点の一つで、納税にはうるさいのに、税金の使い道となると、スキャンダルのときだけ大騒ぎするが、日常はほとんど関心を示さない。実は、会社も管理組合も同窓会もみんな同じようなもので、費目と数字の見てくれが予算と似ていれば通る。


 私は民間の組織において、この予算づくり、その査定、決算報告、監査役などを散々務めてきたので、これらは真面目にやると、どんなに大変な作業であることか、また、ほとんどの人が自分のところの予算以外は全く関心を持っていないことを身に染みて体験しております。

 それで上手くいっているなら、金のことでゴタゴタ言うなという社会の風潮が、この国には確かにあると思う。確かに、民間で、しかも実際に大問題が無いなら、責任者とプロに任せておけばよい。失敗したとき、自分たちだけ困るのなら。


 でも国の財政はどうなのだろう。国債の発行額は、天文学的な数字にまで累積しており、もはや「返す気はないな」と私は思っている。日本が買わされているアメリカの国債についても、同じことが言える。私道に提供した地所と同じで、大騒ぎが起きない限り戻っては来ない。そして起きても戻る保証はない。

 国の財政で大騒ぎが起きるとしたら、国債の買い手である国内の投資家(機関と個人)の財布が、カラになるときだと思う。幾ら高利回りにしても、売りさばけなくなる。どうする。外国に買ってもらおうか。アメリカには、そんな金が無い。得意の「公共投資による経済成長」ができなくなる。


 財政も今日で終わりだから、予算のほうだが、税制の話題を最後に拾いたい。私が中学生のころ、累進課税という概念を教わり、そのころの所得税最高税率が約7割と聞いて、金持ちも大変だなと思ったものだ。今は約4割である。何時の間にか、政府はこういう細工をする。それで今度は消費税が上がる。

 これはトリクル・ダウンの逆だから、トリクル・アップとでも呼ぶべき収奪の装置ではなかろうか。政府の反論を聞きたいものだ。ウォーレン・バフェットだったと思うが、「社長の私より、自分の秘書の納税額のほうが大きい。この国は間違っている。」と語っていたのを覚えている。およそ良い話が無い。




(おわり)




ひと夏を楽しんでおくれ、油蝉。
(2017年7月9日撮影)
































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